【記録で歩く】文化4年の知床・斜里に残る秘密の日記。津軽藩の約100人はどう冬を越したのか
いざ日本史へ【その時代を再現】
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【記録で歩く】文化4年の知床・斜里に残る秘密の日記。津軽藩の約100人はどう冬を越したのか
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いざ日本史へ【その時代を再現】
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文化4年(1807年)の秋、知床の付け根の斜里の浜に、津軽藩の約100人が着きました。入る家はなく、小さな魚小屋を空けてもらっての仮住まい。着いた次の日から、陣屋を建てる仕事が始まります。
土地のアイヌの人たちも、冬には浜を離れていきます。人も離れる冬の浜で、一行はどう冬を越そうとしたのか。小頭役の若い藩士が「人に見せるな」と表紙に書いた日記から、その冬を再現します。
■ この回で再現すること
・弘前を出てから42日で宗谷へ。そこで斜里へ回れという命令が出て、オホーツク海の沿いをさらに12日歩きました
・雪が降るまでに建てた陣屋は5棟。住まいの長屋は3つあり、身分の低い者の長屋だけは萱の屋根だったと言われます
・食べ物の中心は、船で運んだ米と味噌と塩。日記には、生の魚は去年の秋に食べたきりだ、とあります
・引き揚げの前に、亡くなった仲間の名が、太さ七寸・長さおよそ3.6メートルの桧の墓標に書かれました
・日記が東京の古本屋で見つかったのは昭和29年。昭和48年、斜里に、故郷の岩木山に似た斜里岳へ向けて慰霊碑が建てられました
■ チャプター
0:00 はじめに
0:59 一 魚小屋から
1:52 二 弘前から42日
4:05 三 雪の前に5棟
5:32 四 足が腫れる病
7:35 五 人のいなくなった冬
9:14 六 名を書いた墓標
11:09 七 日記が世に出るまで
■ 主な出典
【史料】
・山崎半蔵「万里堂蝦夷日記抜書」(文化2年)
・大槻玄沢『寒地病案』(文化5年)
・太田南畝『金曽木』(文化6年)
・斉藤勝利『松前詰合日記』(吉原裕 翻刻・解説『宗谷詰合山崎半蔵日誌:巻之三~巻之八』2010 に収める)
【文献】
・『新編弘前市史』通史編2(近世1)(弘前市)
・笹川平和財団 海洋政策研究所『Ocean Newsletter』第198号(2008)
・市毛幹幸「弘前藩の蝦夷地警護とシャリの悲劇」陸奥新報「津軽の街と風景」185(2022)
・日置順正「津軽藩士殉難事件の概要とそれにまつわる過去帳と供養碑について」『知床博物館研究報告』第17集(1996)
・日置順正「津軽藩士殉難事件の調査から今日まで」『知床博物館研究報告』第17集(斜里町立知床博物館、1996)
・日置順正「津軽藩士死没者の過去帳と供養碑」『知床博物館研究報告』第3集(1981)
・荻野鐵人・影山芳郎「『松前詰合日記』に記載された「浮腫病」についての一考察」『知床博物館研究報告』第18集(1997)
・金喜多一「斜里神社創建200年に思う」『知床博物館研究報告』第17集(1996)
【事典】
・コトバンク「箱館奉行」「斜里岳」(『世界大百科事典』『日本大百科全書(ニッポニカ)』『デジタル大辞泉』『日本歴史地名大系』ほか)
・Wikipedia日本語版「津軽藩士殉難事件」「文化露寇」「会津藩の北方警備」(CC BY-SA 4.0)
【解説のページ】
・弘前市「広報ひろさき」令和6年7月1日号
・斜里町立知床博物館「津軽藩士シャリ陣屋跡」
・気象庁「過去の気象データ」斜里の平年値(1991〜2020年)
・国土地理院「地名検索」「標高API」「日本の山岳標高一覧」
・環境省 知床国立公園(知床世界遺産センター)
・ニッポン旅マガジン「津軽藩士墓所跡・津軽藩士殉難慰霊碑」「宗谷の旧藩士の墓」
・ukaten.com「利尻島・稚内~蝦夷地警固に散った東北藩士たち(会津藩、津軽藩を中心に)」
・donan.info「南部藩・蝦夷地警固」
【地図・地形】
・国土地理院 地理院タイル(標高タイル)を加工して作成
ウェブのページは2026年10月28日に閲覧。
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