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禁足地・八幡の藪知らず。祟られた人の記録は一件も無い【民俗学】

仮説です

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禁足地・八幡の藪知らず。祟られた人の記録は一件も無い【民俗学】

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仮説です
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八幡の藪知らずには、入ると祟られるという話が三百年近く語り継がれています。ところが、江戸の記録をさかのぼっても、祟られた人の記録は一件も出てきません。それどころか、実際に中へ入って無事に帰ってきた人の記録が残っています。当時の僧自身が「根も葉もない噂だろう」と書いています。 それでも、この藪は今も柵に囲まれ、中に入ることができません。 千葉県市川市。市役所の向かい、国道14号沿い。まわりを建物で埋め尽くされた一角に、一辺18メートルほどの竹藪だけが手つかずで残っています。 ▼タイムスタンプ 0:00 入った者は祟られる 0:10 オープニング 1:03 何もない藪「場所と大きさ」 3:07 祟りの手掛かりを探す1:入った人はいるか 4:21 祟りの手掛かりを探す2:なぜ入ってはいけないと言われるのか 7:16 祟りの手掛かりを探す3:祟りの正体 10:04 最後の手掛かり:祟られた人はいるか 11:11 仮説 15:37 次回予告 このチャンネルでは、昔の記録を読んで、そこから仮説を立てています。 根っこに資料があること、そこから想像できる話であること、 途中で別の話にすり替わっていないこと。気をつけているのはそれくらいです。 なので外れていることもあると思います。それでも資料から辿れる線の上にあるなら、 一つの見方として置いておきたいなと。 学説ではありません。私ひとりが考えた仮説なので、 エンターテイメントとして楽しんでいただけたら嬉しいです。 みなさんの仮説も、ぜひコメントで教えてください。 ▼参考文献 ・菊岡沾涼『本朝俗諺志』巻之二「八幡不知」(1746年/延享3) ・青山某『葛飾記』(1749年/寛延2) ・中村国香『金ヶ作紀行』(1765年/明和2)※『房総叢書』第8巻所収 ・馬光『葛飾誌略』(1810年/文化7)※注連の理由「此所昔假遷宮の神也。故に敬して注連を引き、猥に入る事を禁ず。不淨を忌む心也」/「平将門の影人形、此所へ埋めてありともいふ」 ・釈敬順『十方庵遊歴雑記』初編「やはたしらずの藪の事實」(1814年/文化11) ・村尾嘉陵『嘉陵紀行』(1829年頃) ・齋藤月岑編/長谷川雪旦画『江戸名所図会』巻七「八幡不知森」(1836年) ・宮負定雄『下総名勝図絵』(1840年代) ・中路定俊・定得『成田参詣記』巻二(1858年/安政5) ・千葉県『史蹟名勝天然紀念物調査』第3輯(1927年/昭和2) ・鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』 ・市川市立図書館 地域資料レファレンス/市川市文化財課「葛飾八幡宮と文化財」 ▼今回使わなかった説 「元の鎮座地説」――『江戸名所図会』に「往古八幡宮鎮座の地なりと云い傳ふ」とあり、禁じられていたのは藪ではなく神社が去ったあとの空き地だった、という筋を検討しました。ただ、葛飾八幡宮の遷座を裏づける記録が確認できず(市川市文化財課の解説にも遷座の記載がありません)、今回は使っていません。 「祠を絶やさない義務が飛び地を生んだ」――藪が行徳の飛び地であることと、掃除に来ていたという記録を結びつける筋も検討しました。ただ、根拠にした当の一文が「撿見、又は佐倉の城主通行の節」と書いており、所持地なら当然の義務でした。口実と読む必要がありません。 #都市伝説 #民俗学 #仮説 #怪談 #禁足地 #八幡の藪知らず #千葉 #平将門