【豊臣家のその後】秀頼の娘はなぜ「縁切寺」の住職になったのか|天秀尼の生涯【江戸史解説】
幕が下りたあと【日本史】
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【豊臣家のその後】秀頼の娘はなぜ「縁切寺」の住職になったのか|天秀尼の生涯【江戸史解説】
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幕が下りたあと【日本史】
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慶長20年、1615年。大坂城が落ち、豊臣秀頼と淀殿は城とともに亡くなりました。
その四日後、徳川方に見つけ出されたのが、七歳の秀頼の娘です。
兄の国松は斬られ、娘は千姫の養女となって、命と引きかえに鎌倉の東慶寺へ入りました。
夫と別れたい女性が逃げ込む「縁切寺」です。
滅ぼされた豊臣家の娘は、なぜ、逃げてくる人を守る寺の住職になったのか。
天秀尼の、その後の三十年をたどります。
▼目次
0:00 序章
1:52 豊臣の姫
3:48 落城の日
5:16 千姫の養女
6:47 縁切寺
8:26 家康への願い
10:17 寺で生きる
12:22 父のための雲板
13:49 会津からの駆け込み
16:13 それぞれのその後
17:36 無縫塔
▼あなたはどう思いますか?
逃げ場のない人が駆け込める場所は、いまの社会に足りていると思いますか。
① 足りている
② まだ足りない
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舞台を降りても、人生は続く。
史鑑・余生録は、歴史の表舞台を降りた人たちの“その後”を、記録からたどるシリーズです。
「この人の“その後”が知りたい」という人物も、コメントでお待ちしています。
▼参考資料
・『駿府記』『徳川実紀』『武将感状記』
・井上禅定『駆込寺』(文藝春秋)
・三池純正『豊臣家最後の姫』(洋泉社)
・コトバンク「東慶寺」「千姫」ほか
・三溪園「旧東慶寺仏殿」資料
・和樂web、tabi-mag の各記事
▼画像出典
Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
※一部の画像はAIで作成したイメージです。
※「伝わる話」の表示は、確かな史料での裏づけがない言い伝えであることを示しています。
VOICEVOX:青山龍星
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