【天下人の妻たち】家康の死後、残された12人の側室はどう生きたのか?|「髪を下ろすな」と命じられた妻と最後の側室の意外すぎる結末
江戸の記憶
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【天下人の妻たち】家康の死後、残された12人の側室はどう生きたのか?|「髪を下ろすな」と命じられた妻と最後の側室の意外すぎる結末
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元和2年、1616年の春。徳川家康が駿府城で亡くなると、残された側室たちは次々と髪を下ろし、尼になりました。ところが一人だけ、髪を下ろさなかった女性がいます。阿茶局。江戸時代の記録には「このとき命ありて、髪を下ろさずと云う」と書かれています。
天下人の死から44年。残された少なくとも12人の妻たちは、江戸の世をどう生きたのでしょうか。
◆タイムスタンプ
0:00 プロローグ:髪を下ろさなかった女
1:16 天下人の最期
2:21 髪を下ろした妻たち
3:30 戦場にもついて行った局
4:40 息子を失った母
5:29 母代わりの上洛
6:54 日光の神前で
8:13 夫を失った妻、お梅
9:29 寛永9年の剃髪
10:53 鎌倉の尼寺と女人禁制の山
12:26 一位の尼の最期
13:18 最後の一人
14:57 44年の答え
15:52 家康の妻たちとはどんな女性たちだったのか
17:39 家康の妻たちゆかりの地を訪ねる
18:38 エンディング
◆この動画について
今回は、徳川家康の死(1616年)のあと、残された側室たちがどう生きたのかを、江戸時代の系譜『幕府祚胤伝』『柳営婦女伝系』『寛政重修諸家譜』、『台徳院殿御実紀』『英勝院年譜』『梅香寺縁起』などからたどりました。
軸にしたのは阿茶局(雲光院)です。「命ありて髪を下ろさず」という話は19世紀前半の『幕府祚胤伝』にだけ出てくる伝聞で、誰の命かは書かれていません。そのため動画では「家康の遺言」とは断定せず、記録の言葉のまま紹介しました。阿茶局が和子(東福門院)の入内に母親代わりで付き添い、従一位を受け、秀忠の死(寛永9年)で剃髪したことは複数の記録が一致します。「徳川家の奥の代表として仕え続けたのかもしれない」という見方は、語り手の推測として示しています。
ほかに、息子の忠輝が改易された茶阿局、日光の神前で29歳で急死したお六(「髪を長くしていたため」という話は一説)、本多正純の妻となり夫の失脚後に伊勢で暮らしたお梅、鎌倉に英勝寺を建てた英勝院、女人禁制の七面山に登ったと伝わる養珠院、そして最後の一人として1660年に80歳で亡くなったお夏(清雲院)を紹介しました。「12人」は没年の分かる側室だけを数えた人数です。人物と場面の絵は想像図です。
◆参考資料・文献
・『幕府祚胤伝』『柳営婦女伝系』『玉輿記』(国書刊行会編『柳営婦女伝叢』1917年、国立国会図書館デジタルコレクション)
・『寛政重修諸家譜』(同上)
・東京市編『東京市史稿』市街篇第3(『台徳院殿御実紀』『以貴小伝』ほか所引、同上)
・東京大学史料編纂所『大日本史料』第12編之24(『続武家閑談』、長谷川家『略譜』ほか所引、同上)
・同『史料綜覧』巻15〜17(同上)
・『英勝院年譜』・「観音山蓮華渓梅香寺縁起」(『鶯宿雑記』所収、同上)
・久遠寺編『鷲の御山』(『本化別頭仏祖統紀』養珠院夫人伝 所引、同上)
・『檀林小石川伝通院志』(『浄土宗全書』第19巻、同上)
・『新編相模風土記』(『鹿山略記』所引、同上)
・宇治山田市編『宇治山田市史』(同上)
・江東区「阿茶局墓塔」/山梨県「養珠院の墓」/名古屋市千種区「相応寺」
・ウィキペディア日本語版「阿茶局」ほか(入口として参照)
◆制作・素材について
・画像・映像:「徳川家康像(模本)」東京国立博物館所蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)、「大坂冬の陣図屏... BY)
・地図:国土地理院(地理院タイル・色別標高図+陰影起伏図)、国土地理院(地理院タイル・色別標高図+陰影起伏図+淡色地図)
・「阿茶局像」徳川記念財団所蔵・「お亀の方像」清涼院所蔵:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
・『幕府祚胤伝』『続武家閑談』『台徳院殿御実紀』『英勝院年譜』『梅香寺縁起』『鷲の御山』『江戸名所記』『甲斐叢記』ほかの図版:国立国会図書館デジタルコレクション
・雲光院の写真:Higa4(Wikimedia Commons・CC0)/英勝寺の写真:Daderot(Wikimedia Commons・CC0)/円覚寺の写真:DimiTalen(Wikimedia Commons・CC0)/伝通院の写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
・地図:国土地理院(地理院タイル)
◆免責事項
本動画は、公開されている史料・研究・文献をもとに制作した教育目的のコンテンツです。説が分かれる出来事は、有力とされる説を中心に紹介しています。内容の正確さには注意を払っていますが、完全性や最新性を保証するものではありません。人物・情景のイメージ画像はAIで生成したもので、実在の肖像ではありません。
動画内で紹介したゆかりの地の情報(所在地・公開状況・アクセスなど)は2026年11月時点のものです。変更・休館・非公開になっている可能性がありますので、お出かけの際は各施設・自治体の公式情報をご確認ください。
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