Перейти к содержимому

お市と勝家 〜北ノ庄、夏の夜の夢〜【歴史MV】

俺のざっくり解説【歴史・科学・雑学】

0:00 / 0:00

お市と勝家 〜北ノ庄、夏の夜の夢〜【歴史MV】

97 просмотров · 13 дн. назад
俺のざっくり解説【歴史・科学・雑学】
316 подписчиков
97 просмотров · 13 дн. назад
織田信長の妹・お市と、織田家の宿老・柴田勝家。本能寺の変のあとに結ばれた二人は、わずか1年足らずで、越前・北ノ庄城の炎の中で最期を迎えました。 二人が詠んだ辞世は、どちらも「夏の夜」と「ほととぎす」をうたっています。その二首を芯に、短い夫婦の物語をシネマティックなデュエット曲とドラマ映像でたどります。 ■ 物語の流れ 1582年6月 清洲会議。その後、お市は勝家に嫁ぎ、3人の娘とともに北ノ庄へ 1583年4月 賤ヶ岳の戦いで勝家は羽柴秀吉に敗れる 1583年4月23日夜 北ノ庄城で最後の宴(城から鉄砲は撃たれず、歌が聞こえたと宣教師フロイスが記録) 1583年4月24日(西暦6月14日) 城は炎に包まれ、勝家とお市は自害。三人の娘は城を出て生き延びた ■ 二人の辞世(『柴田退治記』による) 勝家「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」 お市「さらぬだに うちぬるほども 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな」 ※ お市の歌は「別れを誘ふ」とする本文も流布していますが、ここでは『柴田退治記』系の「夢路をさそふ」をとりました。 ■ お市の装い「腰巻(こしまき)」について 打掛の上半身を脱いで腰に巻く着方で、安土桃山時代の武家の上流女性の夏の正装です。高野山持明院に伝わる「お市の方像」もこの腰巻姿で描かれています。落城は初夏(西暦6月)だったため、劇中のお市はこの装いにしています。 ■ 歌詞 ほととぎす 鳴く 夏の夜 1582年 清洲の夏 わしは君を 北の城へ迎えた ふたたび嫁ぐ わたしの胸に 青い石の天守が 濡れていた 賤ヶ岳 余呉の湖に 霧が立つ 松明の列が 夜を越えてきた 帰ってきた あなたの鎧の袖に わたしは何も聞かずに 触れた 夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす 娘たちを 城から出しましょう あの子たちだけは 生きてほしい ひとりで行けと 言うても君は 同じ川の水だと 笑った 最後の夜に 歌をうたおう 鉄砲の音より 笛の音を 九重の天守の いちばん上で わしの最期を 見ておけと叫ぶ 夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす さらぬだに うちぬるほども 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな 1583年 北ノ庄 炎の中で 君と夢を見る ■ 主な参考 ・大村由己『柴田退治記』(秀吉の御伽衆による記録で、秀吉側の立場から書かれています) ・羽柴秀吉の書状(小早川隆景宛ほか)、ルイス・フロイスの書簡 ・Wikipedia「お市の方」「柴田勝家」「賤ヶ岳の戦い」「北ノ庄城の戦い」「腰巻」「打掛」「笏谷石」 ・コトバンク「お市の方」「柴田勝家」、日本服飾史(風俗博物館)「打掛腰巻姿の武家上流婦人」 ※ 婚姻の時期・勝家の年齢・最期の時刻などは史料により異説があります。最後の宴や娘たちとの別れの細部には、後世の軍記物で膨らんだ部分があります。歌詞と映像には創作の場面を含みます。 ■ 制作について この動画は、AIで生成した音楽・画像・映像を使用しています(歌唱シーンは歌声に口の動きを合わせて生成)。衣装・甲冑・城は安土桃山時代の資料に合わせて作りました。 #お市の方 #柴田勝家 #戦国時代 #北ノ庄城 #賤ヶ岳の戦い #歴史 #MV