豊臣秀吉の母・大政所は、なぜ人質として家康のもとへ送られたのか|家族を次々に見送った天下人の母の最期【豊臣兄弟!】
遺された者の日本史
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豊臣秀吉の母・大政所は、なぜ人質として家康のもとへ送られたのか|家族を次々に見送った天下人の母の最期【豊臣兄弟!】
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1586年、豊臣秀吉の母・大政所は、人質として徳川家康の岡崎へ送られました。館のまわりには、いつでも火を放てるよう柴が積まれていたと伝わります。天下人の母は、そのあと娘・朝日、息子・秀長、孫・鶴松を見送り、名護屋から急ぎ帰る秀吉を待たずに亡くなりました。そして3年後、母を弔うために建てられた高野山の寺で、孫の秀次が命を落とします。大河ドラマ「豊臣兄弟!」第41回で描かれる岡崎の人質の、その先をたどります。
■目次
0:00 オープニング:3つの謎
1:11 第1章 尾張の「なか」|4人の子の母
2:29 第2章 天下人の母になる|「大政所」という呼び名
4:11 第3章 岡崎の人質|家康を上洛させるために
5:41 第4章 見送る母|娘と息子の死
8:00 第5章 間に合わなかった帰京|名護屋からの知らせ
10:32 第6章 母のための寺で|3人の孫
14:55 まとめ:3つの謎の答え合わせ
■出典・画像について
内容は日本語版 Wikipedia(大政所・朝日姫・豊臣秀長・豊臣秀次・豊臣秀勝・豊臣秀保・日秀尼・金剛峯寺)と、そこに引かれている史料・研究をもとにしています。言い伝えや説が分かれる所は、本編で「伝わります」「説があります」とお伝えしています。
本編とサムネイルの画像は、パブリックドメインまたは CC0 の史料・写真です(出典は各場面の右上に表示)。ナレーションは合成音声です。
#日本史 #大政所 #豊臣秀吉 #豊臣秀次 #豊臣兄弟