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元寇のあと、日本と元はどうなったのか|勝ったのに恩賞が無い【ずんだもん&ゆっくり解説】

ずんだもんの歴史ファイル

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元寇のあと、日本と元はどうなったのか|勝ったのに恩賞が無い【ずんだもん&ゆっくり解説】

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元寇。日本は2度とも、元軍を追い返しました。 ところが幕府は、戦った武士に恩賞をほとんど出せていません。 恩賞の沙汰が始まるのは5年後。しかも22年かけて7回に分けてでした。 なぜ出せなかったのか。答えは単純で、そして重い話です。 防衛戦なので、敵から奪った土地が1つも生まれなかったからです。 そして、そのあと日本と元はどうなったのか。 国と国は結ばれないまま、船と人は往き来していました。 ▼登録 つぎの1本も見逃したくない方は、チャンネル登録をどうぞ。    / @zundamon_rekishi_file   取り上げてほしい歴史の謎があれば、コメントで教えてください。次の回の候補にします。 ▼この動画でわかること ・1度目(文永の役)の撤退理由は、いまも学界で決着していないという話 ・2度目(弘安の役)の暴風雨は複数の史料が一致していて、ここは争いが無いこと ・海底から実際に出てきたもの(てつはう・沈没船) ・馬を売って肥後から鎌倉へ直訴に行った御家人・竹崎季長 ・「御恩と奉公」という幕府の理屈が、ここで初めて崩れたこと ・元が3度目を準備していて、途中でやめた経緯 ・斬られた元の使節と、24年後に来て殺されなかった僧・一山一寧 ▼目次 0:00 今日のナゾ 1:20 返書を出さなかった 2:25 1度目の襲来 4:54 撤退の理由は未決着 7:20 石の壁と2度目 10:25 馬を売った男 13:34 土地が生まれない 15:44 崩れた土台のうえで 18:13 断絶と交流 ▼おもな参考資料 ・『蒙古襲来絵詞』(竹崎季長が1293年に作らせた絵巻・国宝) ・『高麗史』(撤退についての記述が複数ある) ・『元史』(クビライが日本征討をやめた記録) ・松浦市 鷹島海底遺跡 発掘調査報告(てつはう・元寇船) ・服部英雄/筧雅博らによる文永の役の研究 ※本編で触れた「一騎討ちで元軍にやられた」という話は、『八幡愚童訓』という1本の史料にもとづくもので、近年は信用性が低いと指摘されています。 ▼画像クレジット(CC BY / CC BY-SA / CC0) ・元寇防塁 生の松原地区 / © 震天動地 / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0) ・現地|元寇防塁 今津地区(現在)/ © Heartoftheworld / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0) ・現地|元寇防塁 生の松原地区(現在)/ © 震天動地 / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0) ・現地|小茂田浜の宗資国像(対馬・現在)/ © Ackeyyama / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) ・現地|甲佐神社(絵詞が奉納された社・現在)/ © Siwamura / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0) ▼クレジット 音声:VOICEVOX:ずんだもん/VOICEVOX:中国うさぎ/VOICEVOX:玄野武宏 立ち絵:坂本アヒル BGM:DOVA-SYNDROME(https://dova-s.jp)