稲作が800キロ先で始まっていた頃、日本では何が起きていたのか【縄文時代】
古代文明検証ラボ
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稲作が800キロ先で始まっていた頃、日本では何が起きていたのか【縄文時代】
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【シリーズ】
▶ 文明は必要から生まれた(前編): • 縄文時代になぜ文明の要素がなかったのか検証してみた — 農耕・文字・金属を持たなかった理由。この動画の前編
稲作は長江下流域で約七千年前に始まっていました。そこから約八百キロメートル先の日本列島に伝わったのは、約三千年前のこと。技術が渡るのに四千年かかった計算になります。
しかし縄文人は約三万八千年前から黒曜石を海を越えて運び、約七千年前にはヒスイを加工していました。海を渡る力も、高度な技術もあったのです。それなのになぜ、これほど長い時間がかかったのでしょうか。
島国だから伝わりにくかった? 対馬海峡の最短区間はわずか約五十キロメートルです。遅れていた? 三内丸山遺跡は約千七百年も続いた巨大集落でした。
本当の理由は、まったく別のところにあります。
古代文明とオーパーツの謎に迫る「古代文明ミステリー研究所」へようこそ。
【目次】
0:00 長江で7000年前に始まった稲作が、日本に来る…
2:01 「島国だから遅れた」という説明は、本当に正しい…
4:19 3万7000年前、神津島の黒曜石が本州に渡って…
6:29 糸魚川のヒスイは、朝鮮半島まで届いていた
8:20 秋田と新潟のアスファルトが、三内丸山で使われて…
10:28 モノは動いていた。では、なぜ稲だけが来なかった…
12:54 稲は南方の作物だった。寒さへの適応という壁
15:11 技術は人が運ぶ。作物は移住とセットでないと定着…
17:43 日本列島は、温帯の森と世界有数の漁場が重なる場…
19:34 クリ・ウルシ・ダイズ・アズキ。「半栽培」という…
21:35 三内丸山は、農耕なしで1700年続いた
24:01 約4200年前、寒冷化が始まる
26:10 条件が変わった。そして約3000年前、稲が来る
28:16 伝わらなかったのではない。1万年、必要が無かった
※本動画は諸説ある内容を紹介しています。
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