魏志倭人伝で記録が少なかった東日本では何が起きていたのか【卑弥呼】
古代文明検証ラボ
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魏志倭人伝で記録が少なかった東日本では何が起きていたのか【卑弥呼】
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魏志倭人伝は女王国とその周辺を約二千字で記した一方、その東について残したのは「皆倭種」を含む十数文字だけでした。しかし、記録が少ないことは、東日本に動きがなかったことを意味しません。
纒向遺跡へ運び込まれた東海系の土器、九州北部から東北まで広がったエス字状口縁台付甕、群馬の低湿地を農地へ変えた技術、そして房総・沼津・松本などで三世紀に現れた古墳。文字に残らなかった東日本の姿を、土器・田・墓という三つの手掛かりからたどります。
邪馬台国の所在地を決めるのではなく、魏の使者が記録しなかった東で実際に何が起きていたのかを、考古資料に沿って検証する動画です。
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【目次】
0:00 倭人伝が東について書いたのは十数文字
1:22 「女王国の東、海を渡って千余里」の先
2:36 纒向遺跡に運び込まれた土器の15〜30パーセント
3:52 東海の薄い鍋が九州北部から東北まで
5:06 富山の胎土分析が示した「人の移動」
6:21 木曽三川の氾濫と東海の農業経営
7:34 群馬の低湿地に東海の人が入った
8:48 方眼状の溝で湿地を田に変えた
10:02 房総の高部30号墳と32号墳、3世紀前半
11:09 手焙形土器が語る一度きりでない交流
12:21 市原・沼津・松本に現れた最古級の古墳
13:44 「東日本最古」が四つある理由
15:08 東の墓は後ろが四角かった
16:45 倭人伝が見なかった三世紀の東日本
※本動画は諸説ある内容を紹介しています。
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