石川数正はなぜ家康を去ったのか? 国宝・松本城を建て、28年で失った一族【豊臣兄弟!】
史実のつづき
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石川数正はなぜ家康を去ったのか? 国宝・松本城を建て、28年で失った一族【豊臣兄弟!】
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史実のつづき
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1585年11月、徳川家康の重臣・石川数正は、岡崎城から家族を連れて秀吉のもとへ去りました。
理由を本人は書き残していません。
けれど、家臣の日記に残る日付を並べると、出奔の14日前に浜松城で何が決まったのかが見えてきます。
この動画では、数正の若いころから出奔、松本城主としての晩年、そして子の康長の改易まで、石川家の28年を史料と研究にもとづいてたどります。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で数正が動く前に、史実の数正を知っておきたい方へ。
・出奔の理由には諸説あります。動画では、同じ時代の史料で確かめられること、後の時代の記録や伝承、研究者の説を分けてお話ししています。
・主な参考:『家忠日記』、『三河物語』、『信府統記』、渡邊大門「なぜ石川数正は徳川家康の元から出奔したのか」(2023)、柴裕之『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』(岩田書院、2014)、改訂新版世界大百科事典「松本藩」、文化遺産オンライン「松本城天守」ほか。
・ナレーションは合成音声です。読み間違いや誤りにお気づきの方は、コメントで教えてください。
▼目次
0:00 14日前の決定
7:11 なぜ出たのか
9:46 1年後の皮肉
11:56 松本の城
14:22 城を失った長男
17:14 戻ってきた人質
19:57 28年の行き先
【資料画像の出典】
・国立国会図書館デジタルコレクション:「信濃国松本城図」「三州岡崎城図」「遠江国浜松城絵図」「相州小田原城図」
・Wikimedia Commons(いずれも著作権の切れた作品):松平家忠像(本光寺蔵)/北条氏直像(早雲寺蔵)/結城秀康像(東京大学史料編纂所蔵)/豊臣秀吉像(高台寺蔵)/松平信康像(勝蓮寺蔵)/旭姫像(南明院蔵)/大政所像(大徳寺蔵)/徳川家康像(狩野探幽筆)/徳川秀忠像(狩野派)/徳川家康長久手戦役画像(徳川美術館蔵)/小牧長久手合戦図屏風(豊田市郷土資料館蔵)/賤ヶ岳合戦図屏風(長浜城歴史博物館蔵)/大坂夏の陣図屏風(大阪城天守閣蔵)/肥前名護屋城図(広島市立中央図書館蔵 浅野文庫)/龍城図(岡崎城)/松本城天守古写真(松本城管理事務所蔵・明治期)
・地図:Natural Earth(パブリックドメイン)
【音楽】
千歳の如く(作曲:すもち)/OpenTracks(https://opentracks.com/bgm/detail/13294)
【ナレーション】
ElevenLabs による合成音声
#石川数正 #豊臣兄弟 #徳川家康 #松本城 #日本史