大久保利通、西郷隆盛となぜ道を分けたのか|幼なじみと国づくりの生涯
偉人の光と闇
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大久保利通、西郷隆盛となぜ道を分けたのか|幼なじみと国づくりの生涯
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幕末から明治の国づくりを担った大久保利通は、なぜ借金を残して亡くなったのか。西郷隆盛との対立と紀尾井坂の最期から、公と私の決断を追います。
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薩摩での不遇から維新、内務省、西郷隆盛との対立、紀尾井坂の最期まで。公の仕事と個人の生活の両面から、生涯を一本でたどります。
では、なぜその幼なじみを討つ側に回ったのか。分かれ目は1873年の十月です。八月の閣議で、西郷を使節として朝鮮へ送る方針が内定していました。岩倉使節団から先に帰国した大久保は、しばらく役所へ出ようとせず、十月十二日にようやく参議へ復帰します。その四日前、留学中の息子たちへ「父の身に何かあったと聞いても驚くな」という趣旨の手紙を出していました。十四日の閣議で、大久保は負けます。ところが二日後に辞表を出し、翌日に太政大臣が病で倒れると、黒田清隆と吉井友実を経由して宮中を動かしました。天皇が三条邸へ見舞い、そのまま岩倉邸へ行幸する。岩倉が太政大臣の代理を務める。十日で、決まっていた国の方針がひっくり返りました。碁の場を使って島津久光に手紙を届けた、あの若い日の手口と同じです。西郷は参議を辞して故郷へ帰り、四年後に城山で死にます。
残された八千円が何だったのかは、後半でそのまま見ます。大久保は維新の功で与えられた賞典禄を産業の基金へ差し出し、農学校の奨学金にも二年分の禄を出していました。貸していたのは富豪ではなく、知り合いと友人だったと伝わります。その同じ男が「有司専制」と呼ばれ、讒謗律と新聞紙条例で批判を罰し、急ぐ必要のない土木事業に国の財を注いだと責められました。斬奸状の第一条は、議会も憲法も開かないことを咎めています。ですが大久保自身は、君と民がともに治める国の法を構想した意見書を書いていました。違っていたのは、順序です。死の当日の朝、彼は客に「為政清明」の四字を書き与えました。上野の西郷像は死から二十一年で建ちましたが、鹿児島に大久保の像が建ったのは1979年、死から百一年後です。その像の足元には、二十センチほどの小さな像が二つあります。彫刻家が依頼になかったのに自分から加えたものでした。何の像なのかは、最後の章で見ます。
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▼チャプター
0:00 オープニング
2:28 高麗町の子
5:02 父が島へ流された日
7:20 三年の閉門
9:27 殿様が死んだ夜
11:40 諭書を受けた男
13:46 碁の場
16:09 伏見の宿
18:37 非義の勅命
21:07 十月十四日の紙
23:22 小御所の夜
25:42 藩を消す
28:23 横浜を出た船
30:41 ビスマルクの卓
33:11 帰ってきた男
35:36 十月の秘策
38:09 靴音
40:27 佐賀の首
42:53 北京の五十日
45:23 妥協と勧業
47:36 禄と刀
49:49 城山からの報せ
52:21 三十年の計画
54:25 紀尾井坂
56:41 百年かかった像
59:30 総まとめ
▼注記
・本編は『大久保利通日記』『大久保利通文書』など本人が残した記録を中心に構成し、後世の評伝や回想録にあたる話は、その旨を明示したうえで扱っています。
・『大久保利通日記』の原本はおよそ半分が焼失しており、残された部分から分かることだけを扱っています。
・年齢はすべて数え年です。
・人名・地名の読みは慣用にしたがっています。
・貨幣の現代換算は基準の取り方で大きく変わるため、幅をもたせた目安として一度だけ触れています。
・史料によって記述が分かれる点、後世の解釈が加わっている点については、本編中でその旨を明示しています。
・映像に登場する情景・人物の姿は史料をもとにした想像図であり、実在の肖像ではありません。
・本動画は制作にあたりAI(音声合成・画像生成)を使用しています。
▼クレジット
音声:VOICEVOX:青山龍星
BGM・効果音:Mixkit ほか
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