蜀が滅んだあと、劉備の一族はどうなったのか【三国志のその後】
役に立たない三国志
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蜀が滅んだあと、劉備の一族はどうなったのか【三国志のその後】
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役に立たない三国志
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蜀が滅んだあと、劉備の一族はどうなったのか。
三国志の「その後」を、二人の案内役が、記録が切れるところまで追いかけます。
【チャプター】
0:00 二六三年、蜀が滅ぶ
0:41 今日の疑問
1:03 洛陽へ、五十余人
1:47 散らばった一族
3:04 死んだ二人
3:47 跡継ぎは、六男
6:08 永嘉の乱と『絶滅』
7:45 弟の孫、劉玄
8:54 三四七年、成都で
10:18 答え
【このチャンネルについて】
「役に立たない三国志」は、三国志好きなら一度は気になるけど、わざわざ調べない疑問に決着をつける歴史コメディです。どうでもいい疑問をひとつずつ、本気で調べます。
【事実と創作について】
この動画の結論と主要な歴史事実は、下記の史料・研究に基づいています。案内役二人の会話・リアクション・比喩などの演出は創作です。歴史上の人物の発言は、記録に残る内容の現代語訳・要約であり、発言の逐語再現ではありません。
【主要参考文献】
『三国志』(西晋・陳寿撰、南朝宋・裴松之注)
『晋書』(唐・房玄齢ら撰)
『華陽国志』(東晋・常璩撰)
『資治通鑑』(北宋・司馬光撰)
【注記】
・「五十余人」は、洛陽へ移った劉禅の子孫のうち、役職と爵位(三都尉・侯)を得た人の数として『三国志』本文に書かれています。一族の総人数や、洛陽へ移った全員の数ではありません。
・「子孫は絶滅した」という言葉は、裴松之注が引く『蜀世譜』一書に出てくる二文字です。誰が、いつ、どこで、どのように、という経過は書かれていません。
・動画に出てくる劉玄は、劉禅の孫ではなく、劉禅の弟・劉永の孫です。「子孫は絶滅した」と「劉永の孫が蜀へ逃れた」は、『蜀世譜』の同じ一続きの文の中で、別の家の話として書かれています。
・三四七年の記事は、成漢を滅ぼした晋の軍にいた孫盛という人物が、成都で劉玄を「見た」と書き残したものです。会った・話したとは書かれておらず、これ以降の記録は確認できていません。
・劉禅の子の一人(上党王)の名前は、『三国志』本文と裴松之注とで「虔」「璩」の一字違いで伝わっています。どちらが正しいかは分かっていません。
【音声】
VOICEVOX:夜語トバリ
VOICEVOX:春歌ナナ