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長篠の戦い|三段撃ちは本当にあったのか

俯瞰の日本史

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長篠の戦い|三段撃ちは本当にあったのか

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俯瞰の日本史
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1575年、長篠の戦い。 「織田信長は、三千挺の鉄砲を三段に構え、武田の騎馬隊を打ち破った」。学校で習ったこの一行に、いま3つの疑問符がついています。 鉄砲は本当に三千挺あったのか。三段撃ちは本当に行われたのか。武田の騎馬隊は、本当にいたのか。上から見下ろしながら、一行に書かれていない本当の勝因をたどります。 ▼ 目次 0:00 教科書の一行に、3つの疑問符 0:50 追い詰められた長篠城 2:26 見えない大軍と、集められた鉄砲 3:48 同じ日に書かれた2通の手紙 5:34 三段撃ちのしくみ 7:01 三段撃ちは本当にあったのか 8:57 本当の勝因は何だったのか 10:29 決戦の日 11:55 その後と、あの一行の書き直し ▼ 諸説ありのポイント ・鳥居強右衛門の話:後の時代の記録が伝える話です ・兵の数:織田・徳川の援軍は、あわせて3万8千ともいわれます ・鉄砲の数:『信長公記』に書かれているのは「千挺ばかり」。別働隊の500を足しても、確かなのは千五百挺ほどです ・三段撃ち:3列が入れ替わる形は無かった、という見方が主流です。三段撃ちが初めて出てくるのは、何十年もあとに書かれた読み物です。有力な説は「三段とは3列ではなく、3つの部隊のこと」です ・武田の騎馬隊:騎馬だけの軍団の突撃は、多くの研究者が疑っています。ただ、馬に乗った武者の一団が攻めかかった記録は残っています ▼ 参考にした史料・文献 【史料】 ・太田牛一『信長公記』 ・『多聞院日記』 ・武田勝頼の書状(天正3年5月20日付。東京大学史料編纂所蔵) ・織田信長の書状(天正3年5月20日付、細川藤孝あて。永青文庫蔵の細川家文書) ・『三河物語』『当代記』『甲陽軍鑑』(後の時代の記録として) ・小瀬甫庵『信長記』/参謀本部『日本戦史 長篠役』(1903年)(三段撃ちの話が広まった本として) 【文献・資料】 ・平山優『検証 長篠合戦』(吉川弘文館、2014年) ・金子拓『長篠合戦 鉄砲戦の虚像と実像』(中公新書、2023年) ・藤本正行『長篠の戦い 信長の勝因・勝頼の敗因』(洋泉社、2010年) ・鈴木眞哉『鉄砲と日本人』(ちくま学芸文庫) ・濱田浩一郎氏の解説記事(JBpress) ・新城市設楽原歴史資料館(愛知県新城市) ・国土地理院の標高データ(丘の高さの計算と断面図) ※ 武将の姿・甲冑・旗はイメージです。 #長篠の戦い #日本史 #戦国時代