【 赤間神宮 】御祭神は第81代 安徳天皇です。
かおるちゃん
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【 赤間神宮 】御祭神は第81代 安徳天皇です。
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かおるちゃん
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壇ノ浦の合戦で最後を迎えた、8歳の幼帝・安徳天皇と
祖母の二品禅尼・平時子(にほんぜんに・たいらのときこ)は、
「宝剣」と「曲玉」を納めた箱と共に千尋の深い海底に入水。
続いて大納言助典侍局(だいなごんすけのつぼね)は
「神鏡」の入った箱を持ち入水しようとしたが、
袴の裾を船端に射つけられ、倒れたところを取り押さえられ、
「神鏡」は無事だった。
悲哉(かなしきかな)、無常の春の風、忽(たちまち)に花の御すがたを散らし、なさけなきかな、分段(ぶんだん)の荒き浪、玉体を沈めたてまつる。 << 平家物語 >>より。
「曲玉」の箱は海上に浮かんできたところを回収された。
しかし「宝剣」は水没し、海女に探させても、社寺に祈祷させても、
ついに発見されなかった。
水没した「宝剣」は熱田神宮の本体ではなく、宮中の分身だったが、
これ以降20数年間、宮中では神器の剣が不在となった。
その後、順徳天皇の夢に神示があり、
伊勢神宮から贈られた剣を新たな「草薙剣」の分身とすることになった。
これが現在、皇居に伝わる剣である。
今から800年昔のこと、寿永4年(1185)3月24日、
源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いがこの海峡で行われました。
源氏の船は三千余艘、平家の船は千余艘。源氏の勢は重なれば、
平家の勢は落ちぞゆく。奮戦空しく栄華を誇った平家も遂に敗北し、
武将や女官達は海に身を投じました。
その様子を御覧になった二位尼時子は幼い帝をお抱きになり、
「波の下にも都の候」と申し上げ、ついに水の中へと入っていかれました。
平家一門と共に海底深く、御歳わずか八歳で入水崩御された
第八十一代安徳天皇をお慰めするため、朝廷は建久2年長門の国に
その霊廟を建てるよう勅を発令して、御陵上に御影堂を建立しました。
これを命阿尼に守らせ、勅願寺として御冥福を祈らせました。
尼3代を経て住職に転じ、
阿弥陀寺と号し浄土宗を経て真言宗の寺院となりました。
明治維新後の神仏判然令によって、阿弥陀寺は廃され、
御影堂を改めて天皇社と称し、明治天皇のお定めによって
明治8年(1875)10月7日官幣中社・赤間宮が創建されました。
さらに昭和15年、昭和天皇の勅定により官幣大社に昇格、
赤間神宮と改称され、社殿も整えられました。
惜しくも昭和20年7月、
大東亜戦争の戦禍を受けて本殿以下全て焼失してしまいました。
戦後復興は困難を極めましたが、まず本殿・祝詞殿を建立、
次いで昭和33年「水天門」が竣工、同40年拝殿・回廊の竣工により
龍宮造りの社殿が完成。
同60年には御祭神八百年式年大祭を迎えました。
参考資料
・赤間神宮ホームページ
・天皇論平成29年 著者:小林よしのり
赤間神宮
所在地:山口県下関市阿弥陀寺町4−1
8歳で入水した
幼帝・安徳天皇に手を合わせてきました。
今の日本をどのように見ておられるだろうか。
旅をしながら日本を学ぶ。
日本を学びながら旅をする。
よろしくお願いします。
動画vol.90
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