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【日蓮正宗】創価学会につながる流れは、ここで始まった

お坊さんのみづき

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【日蓮正宗】創価学会につながる流れは、ここで始まった

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お坊さんのみづき
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#仏教 #日蓮 #仏教の誕生 日蓮が死んで七年後、教団は割れました。原因は教義ではなく、墓の当番です。 そして割れたからこそ、日蓮の直筆は現代に残りました。 第二部「仏教の誕生」、第14話。 1282年、日蓮の入滅とともに教団は六老僧(日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持)に託されます。六人は月ごとに交代で身延の墓所を守る「輪番」を取り決めますが、鎌倉から片道四日、冬は雪。数年で順番は崩れ、山に残ったのは日興と日向の二人だけになりました。1289年、日興は身延を去り、富士のふもとへ。翌年に開かれた寺が、現在の日蓮正宗総本山・大石寺です。そして1875年、身延山久遠寺の大火。一箇所に集めていたら消えていたはずの御書は、分かれた先の寺に残っていました。立正安国論と観心本尊抄の真蹟は、いずれも中山法華経寺の国宝です。分裂は傷でしたが、同時に写しの分散でもあった、という話です。 ▼目次(※VOICEVOX合成後の実尺で確定します。下記は工程1の見積り値) 00:00 割れた原因は、墓の当番だった 00:39 1282年10月13日 池上での入滅と六老僧 01:36 輪番 六人が月ごとに墓を守る 01:49 なぜ輪番は崩れたのか 02:37 身延の山は、誰の土地だったのか 02:49 波木井実長と、四箇の謗法 03:28 離山の理由 二つの伝え 03:53 1289年 日興、身延を去る 04:11 富士へ 南条時光と大石寺 04:40 重須の談所と、御書を集める仕事 05:28 明治八年 久遠寺の火災 05:43 もし、一箇所に集めていたら 06:10 国宝は、分かれた側の寺にある 06:31 六老僧のその後 六つの門流 07:27 御家人の困窮と、鎌倉幕府の滅亡 08:09 富士門流から現代へ 08:40 まとめ 割れることは、失うことか 09:01 次回予告 ▼シリーズ 第一部「人類はなぜ祈るようになったのか」(全7章)── 700万年の人類史から仏教誕生前夜まで。 第二部「仏教の誕生」── 第8章「ある王子の物語」/第9章「悟り」/第10章「ブッダ亡き後」/第11章「中国伝来」/第12章「日本伝来」/第13章「奈良の大仏」/第14章「最澄と空海」/第15章「末法」/第16章「法然と親鸞」/第17章「栄西と道元」/第18章「日蓮」/第19章「予言の的中」/第20章「身延」/第21章「分裂」(本編)。 シリーズ再生リストはこちら → (※再生リストURLを貼る) ▼次回予告 第22章「京都」。日蓮の孫弟子・日像が京都へ入ります。追放されること三度、それでも戻り、四十年かけて天皇の許し(勅許)を得て妙顕寺を開きます。関東と東海の地方教団だった日蓮宗が、全国教団へ変わる話です。 ▼出典・補足 ・本シリーズは書籍『僧侶の道』を原作とし、年代・呼称は通説に基づいて補っています。本章は原作 第21章「鎌倉時代後期 ―― 教団草創期(1282-1333)」に対応します。 ・**本章は現存する複数の宗派・教団に関わるため、どの流派の主張にも与しません。**離山の理由については富士門流の伝えと身延側の伝えを両論併記し、動画内でも「どちらが正しいかは決めない」と明言しています。 ・六老僧が入滅の五日前(1282年10月8日)に定められたこと、六人が月ごとに交代で墓所を守る輪番を取り決めたことは、『宗祖御遷化記録』などに基づく通説です。動画では「伝えられます」と述べています。 ・六老僧の生年・1282年時点の年齢(日昭61/日朗37/日興36/日持32/日頂30/日向29)は通説によります。史料により異同があります。 ・波木井実長(南部実長)の「四箇の謗法」(神社参詣・釈迦立像の造立・念仏者の塔への寄進・念仏の道場への参詣)は富士門流側の記録に基づく主張であり、身延側には異なる伝えがあります。動画でも主語を「富士門流は」と明示しています。 ・1289年の日興の身延離山、1290年10月12日の大石寺開創、1298年の重須(現・北山本門寺)への移座は通説によります。日興が師の遺骨と遺文を携えて下山したという点も富士門流の伝えです。 ・1875年(明治8年)の身延山久遠寺の火災で日蓮聖人の真蹟が多く失われたとされる点は通説です。焼失した点数を確定できる記録はないため、動画でも「多くが失われたと伝えられます」と述べています。 ・『立正安国論』および『観心本尊抄』の日蓮真蹟は、いずれも中山法華経寺(千葉県市川市)が所蔵する国宝です。 ・日持が1295年に北へ向かい、蝦夷地を越えて大陸へ渡ったとされる話は伝承であり、確かな記録はありません。動画でも「伝承があります」と述べています。 ・1930年の創価教育学会の創立、1946年の創価学会への改称、1991年の日蓮正宗による創価学会の破門は、いずれも事実の記述にとどめており、経緯・是非については扱っていません。 ・1297年の永仁の徳政令、1333年の鎌倉幕府滅亡は通説の年代です。 ・映像で使用した資料画像の出典・ライセンスは Wikimedia Commons に基づきます(CC0 / Public Domain は表記省略)。 ・(※工程4・図解生成の完了後、asset_manifest.json と diagram_manifest.json の imagery_sources から、CC BY / CC BY-SA の作者名・ライセンス名・ファイル名をここへ転記する) ・サムネイル背景:Wikimedia Commons「Closeup of raging flames in a large bonfire」(CC BY 2.0 / shixart1985) ・音声合成:VOICEVOX:玄野武宏 #六老僧 #日興 #大石寺 #身延山 #日蓮正宗 #鎌倉仏教 #日本史 #歴史解説