教科書の源頼朝の顔、なぜ150年あとの絵だと言われるのか【ずんだもん&ゆっくり解説】
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教科書の源頼朝の顔、なぜ150年あとの絵だと言われるのか【ずんだもん&ゆっくり解説】
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黒い装束で、正面を向いて座っている男の肖像。教科書で源頼朝として習った、あの1枚です。
ところが、いまの多くの教科書にあの絵は載っていません。絵が失われたわけでも、破れたわけでもありません。
理由は、絵そのものにありました。
この絵のどこを探しても、源頼朝という3文字が出てきません。名前を支えていたのは、『神護寺略記』という後世の記録1冊だけでした。そこには、仙洞院に後白河院・平重盛・源頼朝・藤原光能・平業房の肖像があり、藤原隆信の作である、と書かれています。ただしこの記録が成立したのは14世紀の中ごろで、頼朝が亡くなった1199年から150年ほどあとです。
問題の絵は1枚ではありません。京都の北のはずれ、高雄の神護寺に、同じ大きさで同じ筆づかいの肖像が3枚そろって伝わっています。伝源頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能像。畳1枚に近い大きさの絹に描かれていて、戦後すぐに3枚まとめて国宝に指定されました。3枚は縦がぴたりと同じで横もほぼ揃っており、まとめて作られたと考えるのが自然です。つまり1枚の年代が動けば、残りの2枚も一緒に動きます。
その結び付けを正面から疑った人がいます。1995年、美術史の研究者・米倉迪夫が『源頼朝像 沈黙の肖像画』を出しました。出てきた答えは、伝源頼朝像は足利直義、伝平重盛像は足利尊氏、伝藤原光能像は足利義詮。3枚そろって、150年ほど後ろの足利の人物に変わります。
教科書会社が差し替えの根拠として挙げているのは3つです。ひとつ、『神護寺略記』と伝源頼朝像を結びつけるのは根拠に乏しいこと。ふたつ、絵絹の素材が南北朝時代のものであること。みっつ、足利氏の家紋である桐紋の痕跡があること。絵を描いた人は黙っていても、布のほうが時代をしゃべった、という話です。
ただし、決着はしていません。この説にはいくつもの反論が出ていて、学界の中でいまも議論が続いています。黒田日出男は2011年『源頼朝の神像』、2012年『国宝神護寺三像とは何か』で、また別の読み方を示しました。
ですから、いまの正式な名前には「伝」という字が付いています。伝えられている、という意味です。頼朝と伝えられてきた像。そこまでは、誰も否定していません。
では、頼朝の顔はどこにあるのか。足場がひとつだけ確かなものがあります。山梨県甲府の甲斐善光寺にある木造の坐像です。像の体の中に銘文が書き残されていて、頼朝が亡くなってすぐ、妻の北条政子が命じて造らせたこと、そして顔の部分だけは鎌倉のはじめに彫られたことが分かります。教科書会社はこの銘文を根拠に挙げています。
絵には一文字も無く、木像の中には書いてありました。そこが分かれ目です。
もっとも、木像も生き写しだとは誰も言っていません。分かったのは顔ではなく、誰を彫った像かという1点だけです。それでも、絵のほうよりは足場がしっかりしています。
教科書の写真が差し替わったのは、歴史が書き換わったからではありません。「たぶん頼朝」で載せていたものを、「たぶん」が付いたまま載せられなくなったからです。外から叩かれて直したのではなく、研究者が自分の足元を疑って、根拠の細さを自分で見つけた。そういう話でした。
※本動画は、教科書会社の公表資料および美術史の研究書・報道をもとにした解説です。伝源頼朝像を「別人だと確定した」わけではありません。有力な説と、それに対する反論の両方があることを本編でも明示しています。
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▼目次
0:00 だれを描いた絵か
0:57 そろいの肖像
2:38 細い糸
4:50 別の名前へ
7:33 反論もある
9:09 木の中の文字
※時間は目安です。
▼出典・参考
帝国書院 公式FAQ「甲斐善光寺の坐像を源頼朝像と紹介しているのは、どのような根拠にもとづいているのですか。」(差し替えの理由と3つの根拠/甲斐善光寺像の胎内銘文)
https://www.teikokushoin.co.jp/junior...
米倉迪夫『源頼朝像 沈黙の肖像画』(1995年/伝源頼朝像=足利直義・伝平重盛像=足利尊氏・伝藤原光能像=足利義詮)
黒田日出男『源頼朝の神像』(2011年)/『国宝神護寺三像とは何か』(角川選書509・2012年)
日本経済新聞 書評「国宝神護寺三像とは何か 黒田日出男著」
https://www.nikkei.com/article/DGXDZO...
※神護寺三像の大きさ・国宝指定・『神護寺略記』の成立時期は、上記の研究書および一般に公開されている解説で確認できる範囲の記述です。米倉説に対する反論は複数ありますが、その中身の当否をこの動画では判定していません。
▼画像クレジット
伝源頼朝像(神護寺蔵)|Wikimedia Commons (Public domain)
伝平重盛像(神護寺蔵)|Wikimedia Commons (Public domain)
伝藤原光能像(神護寺蔵)|Wikimedia Commons (Public domain)
神護寺 金堂|Fg2 / Wikimedia Commons (Public domain)
神護寺|© 663highland / Wikimedia Commons (CC BY 2.5)
足利直義(後世の版画)|水谷緑亭編 / Wikimedia Commons (Public domain)
五七桐|Zagyoso / Wikimedia Commons (Public domain)
甲斐善光寺|© さかおり / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0)
木造伝源頼朝坐像|© 東京国立博物館 / Wikimedia Commons (CC BY 4.0)
木造伝源頼朝坐像|© Myshkin. / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)
源頼朝の墓(鎌倉)|© Naokijp / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)
図解は本チャンネル作成
▼クレジット
音声:VOICEVOX:ずんだもん/VOICEVOX:中国うさぎ/VOICEVOX:玄野武宏
BGM:DOVA-SYNDROME(https://dova-s.jp)