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【三国志】赤壁の戦い、その時、曹操・劉備・孫権はどう動いた?【地図で見る三国志解説】

地図で見る三国志〜蒼天の航路から〜

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【三国志】赤壁の戦い、その時、曹操・劉備・孫権はどう動いた?【地図で見る三国志解説】

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地図で見る三国志〜蒼天の航路から〜
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建安13年(208年)、中国の北半分をまとめた曹操は、大軍を率いて南へ向かいました。 迎え撃つのは孫権と劉備。兵の数で大きく勝っていたはずの曹操は、なぜ赤壁で敗れたのか。 曹操の南下、長坂の戦い、孫権と劉備の同盟、火攻め、華容道の退却、そして戦いのあとの荊州まで。 武将たちの動きを1枚の地図でたどりながら、小説『三国志演義』と、歴史の記録である正史『三国志』の違いも紹介します。 ■ チャプター 0:00 はじめに 0:38 全図(208年の中国) 1:09 其の一 曹操の南下 2:03 其の二 長坂の戦い 3:35 其の三 孫権と劉備の同盟 5:30 其の四 赤壁で両軍がぶつかる 6:49 其の五 火攻め 8:29 其の六 曹操の退却 9:54 其の七 戦いのあと 10:41 結び(曹操はなぜ負けたのか・次回予告) ■ 地図の見方 ・青:曹操 赤:孫権 緑:劉備(劉琦を含む) 金茶:劉表 ・紫:劉璋 黄土:張魯 茶:馬超・韓遂 灰青:公孫康 灰:交州(士燮ら) ・細い線:郡の境(郡の役所の位置から推定した、おおよその境) 太い線:勢力の境 ・川・湖・海岸線は現在のものです。当時の長江や洞庭湖まわりの水辺は、今とは形が違っていたとされます。 ■ 数字と記録について ・曹操が「水軍八十万」と名乗った手紙、周瑜の「北の兵15〜16万、荊州の兵7〜8万」という見立て、孫権が机を切る話、曹操の「周瑜に虚名を得させた」という手紙は、いずれも正史の注に引かれた『江表伝』によります。 ・周瑜・程普の兵は、『江表伝』では三万、正史の呉主伝では「左右督として各一万」とあります。 ・劉備に十万あまりの人々が従ったこと、曹操の騎兵五千が一昼夜で三百里あまりを駆けたことは、正史の先主伝によります。1里は約415メートルで換算しました。 ・黄蓋の船の数は、周瑜伝では「数十艘」、『江表伝』では「十艦」です。 ・華容道のぬかるみと、曹操が「劉備は策を得るのが少し遅い」と笑った話は、武帝紀の注に引かれた『山陽公載記』によります。 ・赤壁の戦いの月ははっきりしません。武帝紀の並びでは12月ごろですが、異説があります。動画では「冬」としています。 ・戦いの場所は、湖北省赤壁市あたりとする説が有力です。ほかにも説があります。 ・草船借箭、苦肉の計、連環の計、諸葛亮が東南の風を祈る話、華容道で関羽が曹操を見逃す話は『三国志演義』の創作です。草船借箭のもとになったのは、数年後(213年ごろ)の濡須で孫権の船に矢が刺さった話で、正史の注に引かれた『魏略』にあります。 ■ 出典 ・陳寿『三国志』(裴松之注):武帝紀・劉表伝・曹仁伝・先主伝・諸葛亮伝・関張馬黄趙伝・呉主伝・周瑜魯粛呂蒙伝(中国語版ウィキソース「三國志」の本文で確認) ・郡の位置:"CHGIS Version 6." (c) Fairbank Center for Chinese Studies and the Institute for Chinese Historical Geography at Fudan University, Dec 2016.(建安13年時点の郡の役所の点データを使用。点が欠けている郡は後漢の郡の役所の位置で補い、境界は地形から推定して描きました) ・地形:Terrain Tiles(Mapzen / AWS Open Data。SRTM、GMTED2010、ETOPO1 ほか)を加工 ・川・湖・海岸線:Natural Earth(パブリックドメイン) ・BGM:フリー音源 ■ 制作について ・武将の肖像は画像生成AIによる想像図で、実際の肖像ではありません。 ・語りは合成音声(ElevenLabs)です。 ・地図・映像・効果音(銅鑼・鐃鈸・梆子など)はプログラムで生成しています。調べもの・台本・地図と映像のプログラムづくりにはAIを使っています。 あなたが三国志を知ったのは、演義ですか、漫画ですか、それともゲームですか?ぜひコメントで教えてください。 次回は「官渡の戦い」です。 #三国志 #赤壁の戦い #曹操 #孫権 #劉備 #諸葛亮 #周瑜 #三国志演義 #正史三国志 #地図 #歴史 #中国史 #三国無双2