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「豊臣兄弟!」に学ぶ日本史 黒田官兵衛と子孫たち 如水の名の如く水のように環境の変化に合わせながら本質を変えず受け継いだ家系 History of JAPAN

歴史JAPAN Kunibo

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「豊臣兄弟!」に学ぶ日本史 黒田官兵衛と子孫たち 如水の名の如く水のように環境の変化に合わせながら本質を変えず受け継いだ家系 History of JAPAN

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戦国乱世、豊臣秀吉の天下統一を決定づけた軍師・黒田官兵衛。秀吉から「弟の小一郎(秀長)同然に心安く存じ候」と最大の親愛を示された盟友であった。政権を統率する秀長と、知略・調略を担う官兵衛の役割分担は、中国大返しや九州平定など数々の難局を切り拓いた。官兵衛は無用な流血を避ける合理主義者だったが、豊前平定における宇都宮鎮房の謀殺のように、家の存続のためには非情な決断も辞さない現実主義者の一面も併せ持っていた。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、嫡男の長政が小早川秀秋らを寝返らせる大功を挙げ、黒田家は筑前福岡五十二万石の大名へと飛躍した。しかし二代藩主・忠之の代に軍船建造など幕府の禁令を犯し、筆頭家老・栗山大膳が主君を直訴する「黒田騒動」が勃発する。改易の危機に瀕したものの、幕府は長政の抜群の戦功に免じて領地を安堵した。主君を訴えた大膳は陸奥盛岡藩へ配流となったが、官兵衛から父・善助が拝領した愛用の兜「銀白檀塗合子形兜(如水の赤合子)」を携行した。この名兜は南部家へ献上され、現在も盛岡の地に唯一現存する官兵衛所用の兜として伝えられている。 平和な江戸後期、黒田家の知謀は自然科学へと昇華した。十代藩主・斉清はシーボルトと交流し鳥類書『鴨経』を著し、十一代・長溥は輸入植物を精密に観察・分類して『本草図』を遺した。この学究肌の家風は近代に結実する。十四代当主・長礼は新種「カンムリツクシガモ」を発見して「日本鳥学の父」と称され、十五代・長久は戦時中に近衛師団の「鳩班長」として極秘通信用の伝書鳩を育て、戦後は山階鳥類研究所長を務めた。公家出身の母・和子は自作の真空管無線機を操り、父子が仕留めてきた鴨の羽をむしってすき焼きにするなど、逞しく一家を支えた。 戦後の財産税により赤坂の屋敷地は縮小したが、志賀島出土の国宝「金印」や信長拝領の「圧切長谷部」、名槍「日本号」など約七千点の至宝は散逸することなく福岡市へ寄贈された。十六代当主・黒田長高氏は、二十七歳で福岡を訪れた際に旧家臣子孫から万歳三唱で迎えられたことを機に家の歴史を自覚し、官兵衛の号を冠した「如水興産」を設立した。 水のように形を変えながら激動の四百年を生き抜いた官兵衛の精神は、名宝と子孫たちの中に今も脈々と息づいているが・・ 作曲 秋山裕和 http://www.hmix.net/ #nhk大河ドラマ #豊臣兄弟 #黒田官兵衛