邪馬台国はどこへ消えたのか|空白の150年を、古墳の地図と朝鮮の記録で確かめた
謎の検証所
0:00 / 0:00
邪馬台国はどこへ消えたのか|空白の150年を、古墳の地図と朝鮮の記録で確かめた
7 793 просмотра · 16 часов назад
謎の検証所
224 подписчика
7 793 просмотра · 16 часов назад
卑弥呼が死んだ後、邪馬台国はどこへ消えたのか。266年、中国の歴史書に「倭人が来て物を献上した」と書かれたのを最後に、倭は中国の年ごとの記録から147年間消えます。消える前は女王の国、戻ってきた時は「倭の五王」の国。その「空白の150年」を、朝鮮の記録で倭の記事を数え、200メートルを超える古墳を時代ごとに地図に置いて、自分で確かめました。
邪馬台国の場所を確かめた回: • 邪馬台国はどこにあったのか|魏志倭人伝の道のりを、自分で地図にたどってみた
▼目次
0:00 邪馬台国はどこへ消えたのか
1:27 魏志の最後の1節
2:57 266年の1行
4:33 消えた147年
7:32 梁書の一文
8:24 書紀がつないだ空白
9:45 纏向の終わり
10:58 箸墓はいつか
12:22 中国で出ない鏡
13:38 半島の石碑
16:04 七支刀と鉄
18:36 富雄丸山古墳
20:18 崇神天皇
22:32 書紀の中の150年
24:09 卑弥呼の敵はどこへ
25:37 割れる説
28:27 実験1 朝鮮の記録で数える
31:42 実験2 古墳の地図
36:43 九州はどうなった
38:53 空白の後の王たち
40:25 倭王武の手紙
41:28 答え合わせ
▼この動画で分かったこと
・晋書の皇帝の記録は、266年に「倭人来献方物」と書き、次に倭が出るのは413年。147年の間がある。日本書紀の神功皇后紀は同じ266年の使いを「晋の起居注」から引くが、元号を泰初、月を10月と書き、晋書とずれる
・梁書は「台与の後に男の王が立ち、中国の位を受けた」と書くが、年も名前も書いていない
・好太王碑(414年)は、391年から404年にかけて、倭が海を渡り、新羅の国境に満ち、高句麗の歩兵・騎兵5万に任那加羅まで追われ、旧帯方郡の地に入ったと書く。どこの勢力の倭かは書いていない
・石上神宮の七支刀は「泰和4年」(369年説が有力)。日本書紀の神功52年(120年下げて372年)には、百済が七枝刀と七子鏡を贈り、谷那の鉄山の鉄を献上すると約束した話がある
・新羅本紀で倭の記事を数えると、5世紀の終わりまでで42件、そのうち266〜412年に16件(年は王の在位から換算した目安)。375〜412年は、新羅5件・百済4件・好太王碑4件の計13件
・長さ200メートル以上の古墳37基を時期ごとに地図に置くと、3世紀1基・4世紀前半4基・4世紀後半9基。4世紀までの14基はすべて今の奈良県と大阪府にあり、5世紀に一番大きな墓は大阪平野へ移り、吉備や丹後にも200メートル超の墓が現れる(時期は研究者の推定で幅がある)
・富雄丸山古墳(4世紀後半)では2023年に長さ2m37cmの蛇行剣と盾形の銅鏡が見つかり、2026年1月には「この古墳から出たと伝わる」三角縁神獣鏡3面について、この古墳から出た可能性が高まったと発表された。佐紀古墳群は2023年に航空レーザー測量で全体の精密な図が初めて作られた
・九州では吉野ヶ里の環壕が埋まり、苅田の石塚山古墳から京都・岡山と同じ型の三角縁神獣鏡が出る。博多湾の西新町遺跡は4世紀に朝鮮半島南西部と列島各地の土器が集まる交易の町だった(2025年9月 重要文化財)
・478年の倭王武は、祖先が「東は毛人55国、西は衆夷66国、海の北の95国」を平らげたと宋の皇帝に書いた
・邪馬台国がそのままヤマトの王権になったのか、九州から移ったのか、滅ぼされたのかを示す記録は、見つからなかった
▼出典・参考
一次資料
・『三国志』魏書 東夷伝 倭人条(魏志倭人伝)
・『晋書』巻1 宣帝紀・巻3 武帝紀・巻9 孝武帝紀・巻10 安帝紀・巻97 四夷伝
・『梁書』巻54 諸夷伝、『宋書』巻97 夷蛮伝・本紀、『南斉書』巻58
・『日本書紀』巻五 崇神天皇・巻九 神功皇后、『古事記』(崩年干支)
・好太王碑(広開土王碑)、石上神宮 七支刀の銘
・『三国史記』新羅本紀・百済本紀
研究・公的機関
・文化庁 国指定文化財等データベース(纏向遺跡・西新町遺跡)
・国立歴史民俗博物館研究報告 第163集(2011)「古墳出現期の炭素14年代測定」
・白石太一郎の原表ほかによる200m以上の古墳の一覧(Wikipedia「日本の大規模古墳一覧」)
・若井敏明『邪馬台国の滅亡』(2010)、古田武彦『「邪馬台国」はなかった』(1971)、江上波夫の騎馬民族征服王朝説(1948)、寺沢薫・白石太一郎・都出比呂志・小林行雄の研究
・奈良国立博物館 七支刀のX線CT調査(2025)、奈良市「伝富雄丸山古墳出土三角縁神獣鏡の新たな所見と来歴」(2026)、奈良市・奈良文化財研究所 佐紀古墳群の航空レーザー測量(2023)、奈良市教育委員会・奈良県立橿原考古学研究所 富雄丸山古墳の発表(2023)
計算・地図
・古墳の位置:国土地理院 逆ジオコーダで町名を確認。地図:国土地理院 標高タイル・陰影起伏図を加工
・朝鮮の記録の数え:『三国史記』の王の在位年から西暦に換算(目安)
▼画像(Wikimedia Commons)
・大仙陵古墳・箸墓古墳・佐紀盾列古墳群の空中写真(国土地理院・国土交通省)
・纏向遺跡、箸墓古墳、渋谷向山古墳、西殿塚古墳、吉野ヶ里遺跡、椿井大塚山古墳、富雄丸山古墳、平原遺跡の大鏡(複製):Saigen Jiro(CC0/PD)
・好太王碑:Yumeto(CC BY-SA 4.0)、好太王碑の拓本(東京国立博物館・PD)、七支刀(PD)
・沖ノ島:Indiana jo(CC BY-SA 4.0)、黒塚古墳展示館:663highland(CC BY 2.5)