三軒茶屋ナザレン教会礼拝説教「主の恵みを分かち合う私たち」2026年9月20日
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2026年9月20日 礼拝式説教
エフェソの信徒への手紙4章25~32節
「主の恵みを分かち合う私たち」
日本ナザレン教団三軒茶屋教会
牧師 石川博詞
<説教から> この聖書箇所は、クリスチャンのあるべき心について、とても具体的に教えてくれています。ここに書かれていることは、たとえ時代が変わっても、文化が違っても、誰もが共感できる教えです。ここには「偽り」「怒り」「盗み」「悪い言葉」「無慈悲」「憤り」「わめき」「悪意」といった、クリスチャンが捨て去るべき事柄が挙げられています。そして、それらには「悪魔にすきを与える」危険があり、「神の聖霊を悲しませて」しまうのだとハッキリと書かれています。神の聖霊を悲しませてしまう行い、それこそが罪なのです。
罪との関わりが曖昧なままですと、どんなに立派に思われる理想も、律法も、独りよがりの悪臭を放つものとなってしまいます。つまり、自分が善いと確信していることが、実は自分だけが善いと思い込んでしまっているに過ぎないのではないか、それを省みなければ、むしろ隣人を傷つけ、聖霊を悲しませてしまう者となってしまうのです。言うまでもなく、主イエス様は、そのような独善を私たちに教えてくださったのではありません。独善ではなく、神を愛し、隣人を愛する恵みを教えてくださったのです。でも、弟子たちでさえ、イエス様の教えを中々受け止めることができず、自分中心の争いを捨て去ることができませんでした。そのために悪魔に隙を与えてしまうことさえあったのです。このまま私たちはいつまでも、偽り、怒り、盗み、悪い言葉、無慈悲、憤り、わめき、悪意が蔓延する世界にいなければならないと思うと、本当に恐ろしくなってしまいます。私たちクリスチャンは、真実を語り合い、主をほめ歌い、互いに親切にし、憐れみの心で接し赦し合い、助け合う世界を求めのみです。
ですが、どうも今日の世界は、自分だけの価値観に世界を合わせようとする方向へ突き進んでいるように思えてなりません。主なる神様が私たちにお与えくださった尊い御恵みを省みず、どこまでも自分を善とする独善に頼り、たとえ隣人との関係を破壊しても、自分を守ろうとしているかのようです。それでは結局、すべての「関係」を破壊してしまうのみです。私たちは「関係」を失ってしまえば、単に孤独に悩むだけではありません。それは自分という存在まで空しくさせてしまうのです。
先週から、今私たちが続けている聖書通読では、また新たに創世記を読み始めました。創世記には、主なる神様が私たちのために、すべてにおいて「よい」世界を備えてくださったことが書かれています。それなのに、人は自らの欲望の虜となり、人間関係も、さらには主なる神様との関係さえも破壊してしまいました。まさに、互いの関係を、偽り、盗み、怒り、悪い言葉に支配させてしまったのです。人は、こうして主なる神様を悲しませる存在となってしまいました。今もなお、その状況は続いています。
私たちは今、決断しなければならないことがあります。それは、互いの関係を破壊へ向かわせる罪ではなく、主なる神様の御恵みを分かち合う関係に生きることです。それこそが主なる神様が救い主イエス・キリストを通して示してくださった十字架の愛、完全な愛、アガペーです。主イエス様の愛を分かち合って生きる他に、私たち人間に希望はありません。もし、互いの関係を対立を基盤とし、自分を守ることで一時的に幸福と平安を得られたとしても、それは自分まで壊してしまう前兆に過ぎないのです。
今、互いに分かち合う秩序を失いつつあるこの世界に、私たちクリスチャンは、共に生きている姿の尊さを世に示していかなければならないのです。もちろん、共に生きる道が険しいことは分かっています。その尊さを忘れて失敗してしまうことを繰り返すかも知れません。しかし、その度に、主なる神様の御言葉を読み返すのです。聖書通読が一度切りで良いわけでないことが、このことからも痛感させられます。聖書通読は生涯かけて続けて行くべきです。そうして、挫折から再び立ち上があり、また主の御恵みを分かち合い、互いに支え合っていく関係を保ち続けるのです。それがキリストの教会に集う私たちの信仰です。
今日、そして明日、私たちは隣人と、どうしたらに主の御恵みを分かち合い、支え合うようになれるのか、それを深く祈り、主の導きに期待したいと思います。自分だけが完全な存在だと勘違いするのではなく、挫折しても、主の御恵みである愛に目を向け続け、分かち合う者であり続けましょう。私たちクリスチャンから、この希望は消えません。そうしたクリスチャンの姿こそが、世に輝きわたるのです。
主なる神様の御恵みをお祈りします。アーメン。