なぜ戦時中の米は一日2合3勺だったのか
一皿の来歴
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なぜ戦時中の米は一日2合3勺だったのか
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一皿の来歴
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炊く前の米で、一日およそ330グラム。
昭和16年の春から、東京や大阪に住む大人ひとりが買うことを許された米の量です。
戦時中の日本人が何を食べていたのか。
【今日の一考】
今日の一考です。戦時の配給制度のなかで、いちばん長生きしたのは、実は食べ物ではなく仕組みでした。1942年の食糧管理法は戦争が終わっても廃止されず、国が米を買い上げて値段を決める制度として続きます。この法律が廃止されたのは1995年、半世紀以上もあとのことです。米穀通帳も、戦後しばらくは身分証明の代わりに使われていたと言われます。私たちがいまスーパーで好きな銘柄の米を選べるのは、戦時に作られた仕組みが、長い時間をかけてほどかれた結果でもあるのです。板前の目でもうひとつ付け足すと、分づき米や麦ご飯、すいとんは、いまでは好んで選ぶ人もいる料理になりました。同じ一杯でも、強いられて食べるのと、選んで食べるのとでは、意味がまったく違います。食の自由とは、何を食べるかを自分で決められることなのかもしれません。
【目次】
0:00 オープニング
0:21 海の向こうの田んぼ頼み
1:36 米屋の商いに国の許可
2:47 白米に引かれた一本の線
3:57 通帳を持って配給所へ
5:11 芋と豆が茶碗に入る
6:22 かさを増やす台所の工夫
7:30 雑炊の行列と減った二勺
8:39 今日の一考とまとめ
【参考資料】
・国立国会図書館「日本法令索引」米穀配給統制法(昭和14年)
https://hourei.ndl.go.jp/
1939年の米穀配給統制法の公布と、米の取引を許可制にした制度の骨格
・国立国会図書館「日本法令索引」食糧管理法(昭和17年)
https://hourei.ndl.go.jp/
1942年の食糧管理法の公布と、1995年の廃止までの経緯
・国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)
https://www.jacar.go.jp/
米穀の配給・統制をめぐる当時の公文書
・昭和館(戦中・戦後の国民生活に関する国立の資料館)
https://www.showakan.go.jp/
米穀通帳・外食券など配給制度下の暮らしの資料、2合3勺の基準量と六大都市での配給開始
・斎藤美奈子『戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』岩波現代文庫, 2015(初版 岩波アクティブ新書, 2002)
https://www.iwanami.co.jp/
『主婦之友』『婦人倶楽部』などの婦人雑誌に載った代用食の献立、楠公飯・すいとん・雑炊
【画像】パブリックドメインの作品を使用しています
・Hasui Kawase 『Snow at Tsukishima』(昭和5年出版) Wikimedia Commons
・Yoshimitsu Sasaki 『Dojima-Rice-Exchange-Osaka-by-Yoshimitsu-Sasaki』(circa 1880) Wikimedia Commons
・Hasui Kawase 『Tōkyō jūnidai, Daikon-gashi by Kawase Hasui』(大正9年出版) Wikimedia Commons
・Ito Jakuchu 『Vegetable Nirvana』(18th century) Wikimedia Commons
・Utagawa Yoshifuji 『In the Early 1320s, Kusunoki Masashige Resists the 800,000-man Army of the Hôjô by Entrenching Himself at the Castle of』(1847–52) Wikimedia Commons
・Andō, Hiroshige, 1797-1858, artist 『Fūkeiga LCCN2008660497』(1900) Wikimedia Commons
地図: Natural Earth
【音声】
VOICEVOX:青山龍星
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この動画はAIを用いて制作しています(台本・音声合成)。画像は美術館などが公開しているパブリックドメインの作品です。
事実関係は公開されている資料をもとに構成し、公開前に人間が確認しています。
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