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談志 松鶴 小さん 米朝 リク特 落語の絹の道11【落語】饅頭こわい

落語ch:荒獅子男乃助

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談志 松鶴 小さん 米朝 リク特 落語の絹の道11【落語】饅頭こわい

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落語ch:荒獅子男乃助
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0:48饅頭怖い(談) 28:21饅頭こわい(松) 53:24饅頭こわい(小) 1:11:43饅頭こわい(米) 1:45:56エンドトーク 「饅頭こわい」 古典落語の演目の一つ。「寿限無」「目黒のさんま」などとともに、広く知られた噺。直接の原話は明和5年に出版された笑話集「笑府」の訳本からと見られるが、中国における似た笑話は宋代の葉夢得の随筆「避暑録話」や明代の謝肇淛「五雑組」にもある。日本の小咄・軽口集では他に寛文2年刊の「為愚痴物語」に御伽衆・野間藤六のエピソードとして登場する。町内の若い衆が集まって好きな食べ物をああだこうだと言っていると人には好き嫌いがあるという話になる。虫が好かないというが人は胞衣を埋めた土の上を初めて通った生き物を嫌いになるという言い伝えがある。蛙なら蛙が嫌いになり蛇なら蛇。嫌いな虫を言い合い蜘蛛くも、ヤモリ、オケラ、百足むかでといろいろ出たが黙っている辰さんに、どんなもんが怖い?と聞くと「ないッ」「でも、なんかあるだろう」しつこく聞くと「…まんじゅう」。東京では若手が鍛錬のために演じるいわゆる「前座噺」のひとつとされるが、5代目柳家小さん、3代目桂三木助らは晩年まで得意ネタとして長く演じた。上方では4代目桂米團治が演じていたものが3代目桂米朝、3代目桂米之助、6代目笑福亭松鶴に伝わった。その後は多くの噺家が演じている。 七代目 立川 談志 入門が5年遅い古今亭朝太(のちの3代目古今亭志ん朝)が「36人抜き」で先に真打に昇進、さらに入門が約3年遅い5代目三遊亭圓楽にも真打昇進で先を越され、生涯最大の屈辱を味わう。古典落語に広く通じ現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語のみならず、講談、漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。五代目三遊亭圓楽、三代目古今亭志ん朝、五代目春風亭柳朝と共に「江戸落語若手四天王」と呼ばれた。自ら落語立川流を主宰し「家元」を名乗る。寄席のほかに日劇ミュージックホールや新宿松竹文化演芸場にも定期的に出演し、コントや漫談も披露する。スタンダップコメディを演じる際には赤シャツにジーパン姿がトレードマークだった。政治家としては、参議院議員(1期)、沖縄開発庁政務次官(三木内閣において36日間)、サイバー大学客員教授などを歴任した。 六代目 笑福亭 松鶴 若い頃は放蕩三昧の暮らしをしていたが26歳の時に父五代目のマネージャーを勤め28歳の時に出番に遅れた出演者の穴埋めとして芸名無しで初舞台を踏む。入門当時、消滅寸前だった上方落語の復興を目指し、3代目桂米朝らと奔走。埋もれていた演目を掘り起こし、また多くの弟子を育て上げ、上方落語の復興を果たす。3代目桂米朝、5代目桂文枝、3代目桂春団治とで「上方落語界の四天王」と讃えられた。豪放な芸風と晩年の呂律が回らない語り口(1974年頃に脳溢血を患った後遺症や糖尿病の悪化や入れ歯による噛み合わせの影響)が知られているが、若い頃はまさに立て板に水というところで、テンポよく迫力のある語り、酔態や子供の表現の上手さで人気を得た。特に酒を題材に取った噺「らくだ」や芝居噺「蔵丁稚」などを得意としていた。 五代目 柳家 小さん 滑稽噺(こっけいばなし)をもっぱら得意とし、巧みな話芸と豊富な表情で、1960年代には落語界の第一人者となる。特に蕎麦をすする芸は有名であり、日本一であるとの声が多い。本人も蕎麦を実際に食する際は、職業柄周囲の目を意識して落語の登場人物さながら汁を蕎麦の端にのみ付けていたらしく、最晩年になってから、「汁を最後まで付けてみたかった」と登場人物さながらの後悔を語った。生涯を通じて剣道を続け、範士七段まで昇段した。剣道専門誌の「剣道日本」の記事にたびたびなっており、「落語と剣道、どっちが好きかって聞かれたら、剣道って言いますよ」と語ったことがある、子供の頃は剣道で身を立てようとも思ったが、稽古のし過ぎで体を壊し断念した。前座時代の1936年、歩兵第3連隊に徴兵され、同年2月26日に起こった二・二六事件では、決起部隊である野中四郎隊の重機関銃兵として出動したが事前にまったくクーデター計画を知らされず支給された実弾を見て演習じゃないんだと気づいたという。1995年、落語家として初の人間国宝に認定された。位階は従五位。 三代目 桂 米朝 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興に大きく貢献した。その功績から、1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。位階は従三位。戎橋松竹で初舞台後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月にも出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語、独演会、一門会を中心に活動するようになる。ラジオパーソナリティーを務めていた近畿放送の「天壇ゴールデンリクエスト」の縁で1966年7月16日、初の独演会「米朝 スポットショー」を京都府立勤労会館で開催、その流れで10月25日に現在でも続く桂米朝落語研究会をスタート。1974年、千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。現在一門の多くがここに所属する。 トークなしで純粋に落語だけを楽しみたい方はこちらでどうぞ 落語の蔵:   / @repli455   トークをもっと楽しみたいと思ったらこちらもどうぞ 荒獅子男乃助:トークチャンネル    • 荒獅子男乃助:トークチャンネル   #談志 #松鶴 #小さん #米朝 #落語 #饅頭こわい