シーボルトが見た200年前の日本人 80を過ぎた殿様と最上徳内が会いに来た江戸への旅
異国の目に映った日本
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シーボルトが見た200年前の日本人 80を過ぎた殿様と最上徳内が会いに来た江戸への旅
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異国の目に映った日本
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1826年5月21日の朝、東海道の山崎の橋で、ひとりの老人が、長崎の出島の医者シーボルトに別れを告げました。老人は江戸から、ずっと付いてきていたのです。オランダ商館長が江戸の将軍のもとへ向かう旅に加わったシーボルトの日記は、のちに『Nippon(日本)』という本に収められました。その1897年の版をもとに、出島から下関、大坂、富士のふもとを通って江戸へ、そして帰り道の山崎の橋まで付いて行き、シーボルトが見た200年前の日本人を追体験する動画です。
召使いの名で旅に加わった3人の弟子、下関で心ならずも演じた「いかさま医者」、くじで決めた診る順。西洋の医学に燃えた大坂の医者たちと白い鹿、「4日の牢屋」、富士川の岸で測った富士。江戸の手前で待っていた2人の殿、鳥の剥製と帝からもらった扇、ラテン語で書いた「白い石の日」。豚を使った目の講義と江戸の地震、種痘と喝采、城で出たひどい茶、反対した漢方の医者たち。80を過ぎた殿様は、異国の医者に何を頼んだのか。江戸から付いてきた老人、最上徳内は、江戸で何をしていたのか。
0:00 山崎の橋の老人 江戸で何をしたのか
1:41 出島を出る行列 弟子はなぜ召使いの名で
6:56 下関の病人の群れ 医者は何を演じたか
11:56 西洋の医学に燃えた大坂 4日の牢屋とは
16:18 80を過ぎた殿様 夜の宿で何を頼んだか
22:13 江戸の宿に通う老人 口止めされた物は
27:58 残ってほしいと頼む医者たち 将軍の返事は
34:05 江戸から付いてきた老人 山崎の橋で
40:21 記録の出どころと橋の上の言葉
外国人が書き残した日本の場面に、その場にいるように立ち会っていただくチャンネルです。
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■出典
・Ph. Fr. von Siebold『Nippon. Archiv zur Beschreibung von Japan』第2版 第1巻(Würzburg und Leipzig・1897年)の「Reise nach dem Hofe des Sjogun im Jahre 1826」
https://archive.org/details/b29352411...
・邦訳:ジーボルト著・斎藤信訳『江戸参府紀行』(東洋文庫87・平凡社・1967年)
動画の中の訳は、邦訳ではなく、すべてこのチャンネルで Siebold の原文から訳しました。
・長崎市「シーボルト宅跡」
https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimi...
■注
・1897年の本は『Nippon』の第2版です。日付は日記の西暦のままです。「200年前」は2026年から1826年を引いた数です。
・日記では2人の殿は「薩摩の殿」「中津の殿」とだけ書かれ、名が無いので、動画では名を言っていません。薩摩の殿の年は、行きの記事では84歳、帰りの記事では82歳です。
・高橋作左衛門の地図の約束が、のちのシーボルトの取り調べのもとになったという話は、1897年の版の編者の注で、本人の文ではないので扱っていません。
・日記の綴りから漢字を確かめられない人(3人の弟子・画家のトヨスケなど)は、カタカナや呼び名で呼んでいます。
・シーボルトと良斎の話はオランダ語の場面として日本語の字で書き、殿や医者たちとの話は通詞を間に描いています。
・鳴滝のシーボルト宅跡は、長崎市のページによると国指定史跡(大正11年指定)です。13人の名は、このページに挙げられた名です。
・吹き出しと心の声は演出で、場面をつなぐために作った台詞もあります。着物や持ち物の色と形は、絵の想像です。
■制作について
絵と地図は、記録をもとに AI の画像生成で木版画の風に描いた再現です。動いて見える所は止め絵を動かしたもので、AI で作った映像はありません。声と、効果音の一部は AI の音声生成で作りました。BGM と効果音の残りは、素材ライブラリの物を使っています。本の扉と頁は、Internet Archive にある1897年版(Wellcome Library の写し)の本物の写しです。台本と組み立ては、このチャンネルで行っています。
#シーボルト #江戸時代 #外国人から見た日本