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ヤマト王権に従わず土蜘蛛と呼ばれた人々は内陸部で豊かに暮らす豪族だった

日本及び東アジアの古代史を科学する

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ヤマト王権に従わず土蜘蛛と呼ばれた人々は内陸部で豊かに暮らす豪族だった

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日本及び東アジアの古代史を科学する
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本ドキュメントは、大参理恵子氏による論文「豊後国風土記にみる土蜘蛛について」(1998年)の記述に基づき、『豊後国風土記』に記述された「土蜘蛛」の実態、その地域的分布、および大和政権との関係性を網羅的に整理・分析した簡潔かつ包括的な要約である。 古代の豊後国(現在の大部分が大分県)における土蜘蛛は、従来の「異人種説」や「先史時代的な狩猟採集・内陸漁猟民」という見解にとどまらず、**内陸の豊かな自然環境と畑作農耕を基盤とし、独自の文化を築いた強大な在地豪族(農耕民)**であったと位置づけられる。 主要な発見および分析結果は以下の通りである。 「土蜘蛛」の定義の再検討: 土蜘蛛とは異種族ではなく、大和政権の統一事業に対して服属しなかった在地勢力の首長や集団に対する、大和朝廷側からの蔑称(津田左右吉説の適用)である。 地理的・構造的な対比: 豊後国八郡のうち、土蜘蛛の伝承が存在するのは主に内陸山間部(日田郡、直入郡、大野郡、速見郡の関与)であり、伝承が存在しない地域は主に沿岸部(球珠郡を除く海部郡、大分郡、国埼郡、速見郡の海側)である。 大和政権との関係性を分けた背景: 沿岸部:平野が少なく農耕に適さないため、海上交通・交易に生計を依存していた。朝鮮半島や中国との渡航・海上交通網の掌握を目指す大和政権にとって重要な拠点であり、交易上の利害が一致したため早くから同盟・従属関係を結んだ(前方後円墳の存在がその証拠)。 内陸部:豊かな自然環境に加え、畑作や採集・狩猟、九州内陸部との独自ルートによる商取引が可能であったため、大和政権の支配下に入る必然性が薄かった。大和政権の強大化に伴い、同盟関係から従属へ変化するプロセスの中で抵抗した集団が「土蜘蛛(賊)」と称され、誅殺または服属の対象となった。