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1000年前の京都の1日は、今の常識がまったく通じない世界だった

真夜中のもしも

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1000年前の京都の1日は、今の常識がまったく通じない世界だった

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真夜中のもしも
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平安時代と聞いて思い浮かべるのは、十二単のお姫さまと和歌を詠む貴族。でも、都に暮らす人のほとんどは貴族ではありませんでした。 1000年前の法律の本『延喜式』、貴族の日記や家訓、当時の記録をもとに、平安京の庶民が1026年10月26日をどう過ごし、お腹いっぱいご飯を食べられたのかを確かめました。 00:00 もしも1000年前の平安京で1日暮らしたら 00:39 舞台は1026年10月26日、平安京の七条 01:16 朝5時55分 門を開ける太鼓と、庶民の家 02:17 朝6時18分 1000年前の時刻表は、今の計算とほぼぴったり 03:06 朝6時58分 幅84mの朱雀大路と、さびれた西の京 04:07 午前10時31分 役人の仕事は3時間半で終わり 05:46 午前10時43分 市場が開く。でも銭は使えない 07:49 午後1時 鍬1丁は、お米の何日分? 08:36 お米2升で、家族はお腹いっぱい食べられる? 08:56 午後3時20分 同じ日の貴族の朝。お風呂に入る日は暦が決めていた 10:12 夕方5時05分 大風、大火事、内裏の泥棒 11:08 夜9時40分 清少納言が「残念だ」と書いた月の光 11:45 答え お腹いっぱい食べられるのか 12:41 1000年後の今夜 ▼この動画で気をつけたこと ・1000年前の庶民は、自分の暮らしを書き残していません。主人公の「役所の下っ端で、家では鍛冶もする男」は、法律の決まり、貴族の日記、当時の物語をつなぎ合わせて組み立てた人物です(もとにしたのは『新猿楽記』に出てくる人物です) ・動画の時刻は、『延喜式』の季節ごとの時刻表(日時計の時刻)を、今の時計に直したものです。日の出・日の入り・月の出の時刻は、当チャンネルで計算した値です ・1日に米2升は、1026年より約100年前に『延喜式』で決められた量です。1026年にも同じ量が配られていたかまでは確かめられませんでした ・お米の量と値段は、平安の1升を今の約4合、今のお米の値段を5kgで約3000円(2026年9月の全国平均)として、お米で比べています。お米の値段が変われば、円の金額も変わります ・鍬1丁を「お米15升ほど」としたのは、稲1束を米5升とする当時の換算(通説)によるものです ・『新猿楽記』『今昔物語集』は、当時の人が書いた物語や語り伝えた話です。登場人物や出来事は作り話ですが、仕事や暮らしの様子は当時の姿を写したものとされています ・確かめた事実と、推測(「〜とみられています」「〜かもしれません」)を言い分けています ・主人公の姿、市場、貴族の朝などの映像は、AIで作った再現イメージです。実際の記録ではありません ▼参考にした主な資料 【一次資料(当時の記録・法律・日記・物語)】 ・『延喜式』巻6 斎院司、巻15 内蔵寮、巻16 陰陽寮(時刻表)、巻21 玄蕃寮、巻26 主税上(禄物価法)、巻33、巻42 左右京職・東西市司(『校訂 延喜式』国立国会図書館デジタルコレクション) ・『令義解』関市令(『古事類苑』産業部9) ・『日本紀略』永延元年、万寿2年〜4年(『国史大系』第5巻) ・『本朝世紀』寛和2年(『古事類苑』泉貨部1) ・『日本三代実録』(『国史大系』第4巻) ・『小右記』(『史料大成』) ・慶滋保胤『池亭記』(『本朝文粋』巻12) ・藤原師輔『九条殿遺誡』(『群書類従』第十七輯) ・『新猿楽記』(藤原明衡の作とされる)(万延元年刊本、『群書類従』巻136) ・『今昔物語集』巻31第31「太刀帯陣売魚嫗語」(『国史大系』第16巻) ・清少納言『枕草子』「にげなきもの」(有朋堂文庫『枕草紙』) ・京都市埋蔵文化財研究所『リーフレット京都』No.77・No.148・No.306・No.365 ・京都府埋蔵文化財調査研究センター『京都府の遺跡(むかし)』 【二次資料(研究・解説)】 ・日向一雅「源氏物語と平安貴族の生活と文化についての研究」明治大学人文科学研究所紀要54(2004) ・日本銀行金融研究所 貨幣博物館「皇朝十二銭」 ・改訂新版 世界大百科事典「升」「平安京」、日本大百科全書「町屋」(コトバンク) ・農林水産省 スーパーでのお米の平均価格(2026年9月7日〜13日) ▼今回使わなかった説・よく出回る話と、その理由 ・「平安時代の庶民は、まだ竪穴住居に住んでいた」:平安京の発掘で見つかる庶民の家の多くは、地面に柱を立てた建物です。竪穴住居が平安時代まで使われていたのは、東日本の村などです ・「平安時代はお金(銭)で買い物をした」:国が最後に銭を作ったのは958年です。10世紀の終わりには都で銭が使われなくなり、1026年ごろはお米・絹・布で支払う時代でした ・「平安京は碁盤の目にぎっしり家が並んでいた」:都の西半分(右京)は10世紀には荒れていて、人は東半分の北のほうに集まっていました ・「平安時代は平和でのんびりしていた」:1026年の前後には、大風、1000軒以上が焼けた大火事、内裏への泥棒、病気の流行の記録が続いています ・「平安時代の人はお風呂に入らなかった」:貴族の家訓に「5日に1度、日を選んで入る」とあります。毎日入る習慣はありませんでしたが、「入らなかった」は言い過ぎです ・「平安時代は季節によって1時間の長さが変わった」:それは江戸時代の時刻の数え方です。平安の朝廷は1日を12に等分し、門を開ける時刻などを季節ごとの表で変えていました ・「平均寿命30歳だから、みんな30歳で死んだ」:平均を下げているのは子どもの死です。5歳を越えた人が亡くなった年齢は、平均で約40歳と推計されています(8世紀の戸籍による推計) ・「平安時代の女性はみんな十二単」:「十二単」は後の時代に広まった呼び名で、宮仕えをする身分の高い女性の正装です。庶民の女性は簡単な服を着ていました ▼絵・写真 ・伴大納言絵詞(12世紀後半、出光美術館蔵):Wikimedia Commons / Public domain ・源氏物語絵巻 宿木・竹河・東屋(12世紀前半、徳川美術館蔵):Wikimedia Commons / Public domain ・年中行事絵巻 着釱政・御斎会・闘鶏(1661年 住吉如慶らの模本)、祇園御霊会の町屋(明治の模写):Wikimedia Commons / Public domain ・紫式部日記絵詞の藤原道長、紫式部日記絵巻 藤田美術館本(13世紀):Wikimedia Commons / Public domain ・平安宮大極殿遺阯碑:Saigen Jiro / Wikimedia Commons / CC0 ・平安京 1/1000 復元模型(京都市平安京創生館):名古屋太郎 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 ・皇朝十二銭・乾元大宝(東京国立博物館蔵):国立文化財機構所蔵品統合検索システム(ColBase)/ CC BY 4.0 ・皇朝十二銭の展示(東京国立博物館):Saigen Jiro / Wikimedia Commons / Public domain ・瑞花双鳳八稜鏡(平安時代、東京国立博物館蔵):Daderot / Wikimedia Commons / CC0 ・当時の記録のページ:国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了) ▼映像・音声 ・映像素材:動画AC、Pixabay ・AIで作った映像(MiniMax、Kling):1000年前へ移る場面、主人公、庶民の家、朱雀大路、太鼓の門、西の京、役所の仕事、市場と干し魚売り、祈る僧、貴族の朝と湯殿、大風、妻、内裏の泥棒、灯明、月明かりの家 ・AIで作った映像のもとの絵:OpenAI(gpt-image-1) ・ナレーション:AivisSpeech(阿井田 茂) ・BGM:OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME)  ・道中を往く(蒲鉾さちこ)  ・和の庭園(Next Arco Recordings)  ・和風たゆたうとき(む~やん)  ・ともしび(かずち)  ・大正の月(かずち)  ・夏祭りの露店通り(KK)  ・篝火のお宿(のる)  ・夜桜ひらり朧月(こーち)  ・お狐さまと夢うつつ(ハモおた)  ・灯火の影(かずち)  ・雪月花(まんぼう二等兵)  ・落ちる葉、移りゆく秋の中で(蒲鉾さちこ) ・効果音:効果音ラボ この動画は、1000年前の法律や記録、貴族の日記、当時の物語をもとに、平安京の庶民の1日を推測して組み立てたものです。 #もしも #平安京 #平安時代 #京都 #日本史