Перейти к содержимому

浅井長政・朝倉義景の勢力図|信長と3年あまり戦った浅井と朝倉は、なぜ1573年、ひと月足らずのうちに二つとも消えたのか【1467〜1615】

絵で見る歴史ラボ

0:00 / 0:00

浅井長政・朝倉義景の勢力図|信長と3年あまり戦った浅井と朝倉は、なぜ1573年、ひと月足らずのうちに二つとも消えたのか【1467〜1615】

12 977 просмотров · 11 ч назад
絵で見る歴史ラボ
7,17 тыс. подписчиков
12 977 просмотров · 11 ч назад
浅井長政と朝倉義景の勢力図。信長と3年あまり戦った浅井家と朝倉家は、なぜ1573年、ひと月足らずのうちに二つとも消えたのか。 浅井を助けに来た朝倉の軍が崩れ、助けられる側の浅井より先に、朝倉が消えた。それから40年あまり、長政の三人の娘は、大坂城の中と外に分かれていました。 越前を握った朝倉と、京極の家の中から出てきた浅井。別々に育った二つの家と、大坂の陣まで続く娘たちの行方を、日本史の地図で郡ごとに追います。 ■ この動画でわかること ・戦国時代の浅井と朝倉の「古くからの仲」「朝倉を攻めない約束」は、いつ書かれた話なのか。朝倉宗滴が小谷城を攻めたとされる1525年と、江戸時代の軍記『浅井三代記』 ・金ヶ崎の戦いで、浅井長政は、なぜ妻の兄の織田信長に背いたのか。理由をめぐる見方と、2か月あまり後に信長が毛利に書いた手紙 ・姉川の戦いと志賀の陣。信長を3か月近く近江に引きとめても、北近江は南から一つずつ削られていった ・「動かなかった」と言われる朝倉義景が、自分で軍を率いて近江へ出た三度 ・1573年、刀根坂から一乗谷、小谷城へ。助けに来た朝倉の軍が崩れ、二つの家がひと月足らずで消えるまで ・北ノ庄で亡くなったお市と、茶々・初・江の三姉妹。大坂の陣のとき、豊臣・京極・徳川の三つの家にいた浅井の娘たち ■ 目次 00:00 序章 南と北に並んだ二つの家|浅井長政・朝倉義景・織田信長 02:51 第1章 越前を握った朝倉|朝倉孝景・朝倉宗滴・一乗谷 09:49 第2章 京極の家の中から|浅井亮政・浅井久政・野良田の戦い 17:32 第3章 二つの家と信長|足利義昭・お市・朝倉義景 25:03 第4章 金ヶ崎と姉川|金ヶ崎の戦い・姉川の戦い・横山城 33:20 第5章 挟んでも勝ちきれない|志賀の陣・比叡山・武田信玄 40:27 第6章 ひと月足らず|刀根坂・一乗谷・小谷城 47:48 第7章 二つの家のあと|越前一向一揆・北ノ庄城・茶々・初・江・大坂の陣 ■ 地図の見方 紫=浅井、青=朝倉(濃い色=直接治める土地 薄い色=従う領主の土地 斜線=取り合い中)。朱=信長(織田) 浅井が京極に仕えた年は線と札で、六角に従った1553〜1560年は六角の薄い色で示しています。信長との同盟も線です ほかの家はその家の色(京極・六角・斯波・本願寺・幕府・三好・斎藤・羽柴/豊臣・柴田・徳川ほか)。どの大名にも付かない土地=薄い墨(国衆) 右上の数字=石高(米のとれ高)の目安。どの年も、のちの帳面の郡ごとの数字で比べています 長政が信長から離れた理由。4章で並べた見方のうち、あなたはどれがいちばん近いと思いますか? 解説してほしい家や武将、合戦も、コメントで教えてください。 ▶ チャンネル登録はこちら    / @絵で見る歴史ラボ   ■ 地図と数字について ・年は和暦の年の西暦、月日は和暦(1572年12月・1582年12月・1614年12月は西暦では翌年1月)。季節は旧暦、年齢は数え。1573年8月は29日までの月 ・右上の石高は1598年の検地高を、郷帳の郡ごとの石高の比で郡に按分した目安(斜線の郡も含む)。当時の浅井・朝倉の石高や兵の数を示す同時代の記録はない。郡は1920年の郡境の近似(佐和山城は郡の境にある) ・若狭は1568年からも朝倉の国として塗っていない。1600年10月からの若狭は京極高次の国、ほかの大名の領地は徳川の下の大名としてまとめて塗った ・1574年の越前は、1月の土一揆を国衆の斜線、2月からを本願寺の色で塗り、敦賀は織田の側に残した ・「浅井」は「あさい」と読む説もある。動画では地元の読み方の「あざい」で読んでいる ・朝倉孝景(英林)が越前の守護になったのか、長政の亡くなった日(8月28日の記録もある)、一乗谷が焼かれた日には説がある ・金ヶ崎の小豆の袋、姉川の十一段崩し、信長が首で杯を作った話は、のちの時代の書物や逸話 ・浅井・朝倉の家紋は家の紋として伝わる形で描いた(当時の作例は確かめていない)。人物と情景の絵は生成AIの想像図、語りは合成音声 ■ 出典 地図・地形: 国土地理院(地理院タイル・陰影起伏図) 郡境: 『歴史的行政区域データセットβ版』(CODH作成)doi:10.20676/00000447(国土交通省「国土数値情報(行政区域データ)」をもとにNIIが加工) 史料の札: 足利義政御内書の写し(『古証文』所収・『後鑑』国史大系 第7巻)、『親長卿記』(『史料大成』続編第40)、『朝倉宗滴話記』(『日本教育文庫 訓誡篇 中』・1911年)、『浅井三代記』(江戸時代の軍記・『史籍集覧』第6冊)、朝山日乗書状案(永禄12年8月19日・益田家什書・『大日本史料』第10編之3)、一色藤長書状(元亀元年5月4日・武家雲箋・同 第10編之4)、織田信長書状(元亀元年6月28日 細川藤孝あて・津田文書・同 第10編之4/天正元年9月8日 妙智院あて・妙智院文書・『東浅井郡志』巻4)、武田信玄書状(元亀3年12月28日・伊能文書・『東浅井郡志』巻2)、浅井長政感状(元亀4年8月29日 片桐孫右衛門尉あて・成簣堂古文書・『大日本史料』第10編之17。訳のみ)、『信長公記』(我自刊我書本・1881年) 語りで引いた記録: 『大乗院寺社雑事記』、『江北記』、『細川両家記』、『言継卿記』、『年代記抄節』、『言経卿記』、武田信玄書状(元亀4年2月16日・古証文)、織田信長書状(天正元年9月7日 毛利輝元・小早川隆景あて・乃美文書正写/上杉謙信あて・小川文書)、『朝倉始末記』 語りの見方の出どころ: 太田浩司氏・宮島敬一氏・小和田哲男氏・長谷川裕子氏・松原信之氏・水藤真氏・金子拓氏・桐野作人氏・久野雅司氏・神田裕理氏・福田千鶴氏・宮本義己氏・桑田忠親氏・黒田基樹氏・荻野三七彦氏ほかの研究、『福井県史』、『新修大阪市史』、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館 札の原文は刊本の版面で確かめた抜き出しで、字の多くは新字体に直しています。手紙の年の多くは編者や研究者の比定です。現代語訳はこの動画によるものです BGM: Will you still cry?(まんぼう二等兵・OpenTracks) 効果音: 効果音ラボ #浅井長政 #戦国時代 #日本史