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豊臣家のその後|秀頼の子どもたちと、明治の名簿に残った「豊臣」

むかし暮らし図鑑

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豊臣家のその後|秀頼の子どもたちと、明治の名簿に残った「豊臣」

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豊臣家は、1615年、大坂城の落城で滅びた。そう教わります。 けれど、1878年(明治11年)の政府の名簿には、「豊臣」という名が書いてあります。 一方、秀頼の死から15日後には、8歳の男の子が、京都の河原で処刑されました。 豊臣の、何がとだえ、何が残ったのか。落城のあとに書かれた日記と手紙まで、遡って確かめました。 (前回「豊臣秀頼は本当に大坂城で死んだのか」の続きです →    • 豊臣秀頼は本当に大坂城で死んだのか。当時の日記と手紙まで遡って確かめます   ) この動画で分かること ・秀頼の子どもたちは、いつ、どこで見つかり、どうなったか ・「国松」という名は、当時の記録に出てくるのか ・尼寺に入った娘(天秀尼)のこと ・秀吉を祭る豊国社は、どうなったか ・「豊臣」の名を、江戸時代から明治まで使い続けた家 「ここからは仮説です」と出る前は、当時の記録と、後の時代の資料を、違いを示しながら紹介しています。 「ここからは仮説です」と出たあとは、記録をもとにした私ひとりの考えです。正解だと言うつもりはありません。 みなさんの考えも、ぜひコメントで聞かせてください。 ※幼い子の処刑をあつかいます。絵にはせず、当時の記録の文字だけで伝えています。 ※「見つからなかった」「確認できた」と言っている所は、今回の調査の範囲での話です。記録が存在しないことの証明ではありません。 ※血すじの話(秀吉の姉の孫・完子から今の皇室まで)は、各人物の記事にある親子関係を一代ずつつないだもので、もとの系図までは確かめられていません。秀吉本人の血ではなく、姉の血すじです。 ※木下家は、秀吉の妻・ねねの兄の家です。秀吉の実子から続く家ではありません。 ※「想像図」と出る絵はAIで作った補助の絵です。「当時の資料」と出る画像は、国立国会図書館が公開している本の画像です。 ▼目次 0:00 豊臣の、何がとだえ、何が残ったのか 1:03 国じゅうで探された、秀頼の子どもたち 3:28 8歳の男の子と、その日を選んだ人 8:12 秀頼の娘をたどる 10:54 秀吉を祭る社は、どうなったか 12:39 「豊臣」の名は、いつ消えたのか 15:10 血すじのゆくえ 16:07 ここからは仮説です 18:51 みなさんは、どう思いますか ▼出典(国立国会図書館デジタルコレクションほか。資料によって利用者登録や館内閲覧が必要です) ・『大日本史料 第十二編之二十』(東京帝国大学、1918年)元和元年5月23日の項(『駿府記』『本光国師日記』『梵舜日記』『土御門泰重卿記』ほか) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450640/1/295 ・土井利勝・酒井忠世の手紙(5月12日付)(『大日本史料 第十二編之二十』に収録) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450640/1/209 ・細川忠興の手紙(5月15日付)(『大日本史料 第十二編之二十』に収録) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450640/1/210 ・細川忠興の手紙(5月24日付)、島津家の報告書(『薩藩旧記』)(『大日本史料 第十二編之二十』に収録) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450640/1/297 ・『大坂御陣山口休庵咄』(17世紀の聞き書き。『大日本史料 第十二編之二十』に収録) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450640/1/298 ・東慶寺の雲板の銘(『大日本史料 第十二編之二十』に収録) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450640/1/303 ・クラッセ『日本教会史』の仏文と日本語訳(『大日本史料 第十二編之二十』に収録) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450640/1/304 ・『当代記』(『史籍雑纂 第二』) https://dl.ndl.go.jp/pid/1912983/1/9 ・リチャード・コックスの日記 Diary of Richard Cocks(Hakluyt Society、1883年) https://www.gutenberg.org/ebooks/46803 ・『新編鎌倉志』(1685年)東慶寺 https://dl.ndl.go.jp/pid/2563543/1/63 ・『武将感状記』(1716年刊) https://dl.ndl.go.jp/pid/913656/1/113 ・道契 編『続日本高僧伝』巻3 https://dl.ndl.go.jp/pid/952808/1/96 ・『大日本史料 第十二編之二十二』(1920年)元和元年7月10日の項(『駿府記』『義演准后日記』) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450642/1/46 ・『梵舜日記』元和元年7月〜(『大日本史料 第十二編之二十二』に収録) https://dl.ndl.go.jp/pid/3450642/1/49 ・『寛政重修諸家譜』巻1183「豊臣氏 木下」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082721/1/96 ・『華族類別録』(1878年)「第七十五類 豊臣朝臣」(コマ35・36) https://dl.ndl.go.jp/pid/11445176/1/35 ・『日出年代史』(1969年)若宮八幡の石灯籠「元和六庚申歳 豊臣延俊」の記載(国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索の抜き出しで確認。現物は未確認) ・春錦会 編『見学の栞』(1919年)国松の墓を移したこと https://dl.ndl.go.jp/pid/960911/1/18 ・日出町「日出藩・木下家」の説明 https://www.town.hiji.lg.jp/kanko_bun... ・日本語版Wikipedia「豊国神社 (京都市)」(1868年の再興の命令・1880年の社殿)、「豊臣氏」(落城のあと姓が使われなくなったこと)、「豊臣完子」「九条道房」「九条兼晴」「九条輔実」「九条幸教」「二条宗基」「二条治孝」「九条尚忠」「九条道孝」「貞明皇后」(親子関係)、「天秀尼」(過去帳の法名)、「豊国廟」(墓を移した碑)。どれも、もとの資料は未確認です https://ja.wikipedia.org/ ▼画面に出した当時の資料 ・『華族類別録』(1878年) 国立国会図書館 ・『大日本史料 第十二編之二十』(東京帝国大学 1918年) 国立国会図書館 ・細川忠興の手紙(5月15日付=今の6月11日。『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・『駿府記』5月12日(『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・『駿府記』5月21日(『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・『本光国師日記』5月22日(『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・『駿府記』5月23日(『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・『梵舜日記』5月23日(『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・『土御門泰重卿記』5月24日(『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・細川忠興の手紙(5月24日付=今の6月20日。『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・島津家の報告書(『薩藩旧記』。『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・細川忠興の手紙(5月24日付。『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・クラッセ『日本教会史』(1689年。『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・『新編鎌倉志』(1685年)「東慶寺図」 国立国会図書館 ・『新編鎌倉志』(1685年) 国立国会図書館 ・東慶寺の雲板の銘(1642年。『大日本史料 第十二編之二十』) 国立国会図書館 ・『駿府記』7月9日(『大日本史料 第十二編之二十二』1920年) 国立国会図書館 ・『義演准后日記』7月10日(『大日本史料 第十二編之二十二』) 国立国会図書館 ・『寛政重修諸家譜』(1812年完成。1923年の活字本) 国立国会図書館 ・日本地図は Natural Earth(パブリックドメイン)をもとに作成 ▼BGM ・Rain Over Kyoto Station / The Mini Vandals(YouTube オーディオ ライブラリ) ・疑惑の霧 / Keido Honda https://opentracks.com/bgm/detail/4650 (OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME)) ・効果音は自作 #豊臣秀頼 #豊臣家 #日本史