淀殿(茶々)のその後|秀吉が死んだあとの17年、なぜ大坂城を出なかったのか【豊臣兄弟!】
日本史読解室
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淀殿(茶々)のその後|秀吉が死んだあとの17年、なぜ大坂城を出なかったのか【豊臣兄弟!】
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1615年6月4日(慶長20年5月8日)、焼け落ちた大坂城の焼け残った蔵に、豊臣秀頼とその母・茶々――淀殿がいました。秀吉が亡くなってからおよそ17年。江戸へ移る道も、城を明け渡す道もあったのに、彼女はなぜ大坂を離れなかったのか。
秀吉の遺書の写し、『当代記』『駿府記』『本光国師日記』、榊原康政・細川忠興の手紙といった同じ時代の記録と、『徳川実紀』や軍記、『絵本太閤記』のような後の時代の物語を分けて、淀殿の17年をたどります。「淀君」という呼び名と「悪女」像が、いつ、どこで生まれたのかも追いかけます。
▼この動画で分かること
・秀吉の遺書の写し「秀頼のこと、頼み申し候」と、淀殿の立場
・北政所が大坂を出たのは、淀殿との不仲のせいなのか
・関ヶ原の前、家康の家臣の手紙に出てくる「大坂の御袋様」
・1605年、秀頼の上洛を拒んだと『当代記』が伝える言葉
・方広寺の鐘銘「国家安康」――家康の側が問題にしたこと
・片桐且元が持ち帰った三つの案と、豊臣家の「家長・当主・家老」
・冬の陣の鎧の話、侍女の死の話、そして「母を人質に江戸へ」の記録
・1615年5月8日、唐物倉の最期と「淀殿」という呼び名
・「淀君」は坪内逍遥の造語ではない――『絵本太閤記』と芳年の錦絵
▼関連する回
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▼チャプター
0:00 オープニング
1:02 第1章 秀頼を頼む
2:30 第2章 関ヶ原の年
3:45 第3章 秀頼の母として
5:31 第4章 大仏と鐘
7:11 第5章 且元が去る
8:51 第6章 冬の陣と和睦
10:40 第7章 唐物倉
11:57 第8章 淀君はいつ生まれたか
13:21 エンディング
▼ご注意
・一部の映像は、当時の雰囲気を伝えるために制作したイメージ映像です。
・史料の引用は刊本の紙面・翻刻に拠り、現代語訳は制作者によるものです。
・同じ時代の記録で確かめられることと、のちの編纂物・軍記・読み物・研究者の見方を分けてお伝えしています。日付は当時の暦で、いまの暦(グレゴリオ暦)を添えています。誤りに気づかれた方は、コメントで教えてください。
・肖像画は「伝淀殿画像」など伝承の像で、本人の姿を写したものと確かめられているわけではありません。
・2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」とは関係のない、独自の解説動画です。ドラマの映像・音楽・画像は使っていません。
▼主な史料・参考文献
・『当代記』『駿府記』(『史籍雑纂』第2、国書刊行会、1911年、国立国会図書館デジタルコレクション)
・『本光国師日記』(『大日本仏教全書』139、仏書刊行会、1915年、国立国会図書館デジタルコレクション)
・『大日本古文書』家わけ八ノ三 毛利家文書之三(1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)
・『大日本史料』第12編之8・之14(国立国会図書館デジタルコレクション)
・『徳川実紀』台徳院殿御実紀(国立国会図書館デジタルコレクション)
・『豊内記』(『史籍集覧』第13冊、1906年)
・『絵本太閤記』下(1886年の版、国立国会図書館デジタルコレクション)
・榊原康政書状(東北大学附属図書館 秋田家史料)
・福田千鶴『淀殿 われ太閤の妻となりて』(ミネルヴァ書房、2007年)
・小和田哲男『北政所と淀殿』(吉川弘文館、2009年)
・黒田基樹『羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩』(平凡社、2017年)
・笠谷和比古『関ヶ原合戦と大坂の陣』(吉川弘文館、2007年)
・田端泰子「『大坂冬・夏の陣』に収斂する淀殿の役割」『女性歴史文化研究所紀要』11(2003年)
・飯倉洋一「『絵本太閤記』「淀君行状」と『唐土の吉野』」『語文』114(2020年)
・嶋津麻穂「明治末期の戯曲と歌舞伎における淀君表象の変容」『コア・エシックス』19(2023年)
・太田浩司「戦国大名浅井三代と三姉妹」(2021年)
・木村展子「豊臣秀頼の寺社造営について」『日本建築学会計画系論文集』499(1997年)
▼絵・写真・刊本のクレジット
・伝淀殿画像(奈良県立美術館本)(奈良県立美術館、パブリックドメイン)
・伝淀君像(養源院本の模写)(東京大学史料編纂所、パブリックドメイン)
・伝豊臣秀頼像(養源院本の模写)(東京大学史料編纂所、パブリックドメイン)
・豊臣秀吉像・南化玄興賛(狩野光信とされる、高台寺、パブリックドメイン)
・徳川家康像(狩野探幽筆)(狩野探幽、大阪城天守閣、パブリックドメイン)
・徳川秀忠像(徳川記念財団、パブリックドメイン)
・千姫姿絵(部分)(弘経寺、パブリックドメイン)
・加藤清正肖像画(勧持院、パブリックドメイン)
・初(常高院)像(常高寺蔵、福井県立若狭歴史民俗博物館寄託、パブリックドメイン)
・現在の大阪城天守 写真:663highland(CC BY 2.5) https://creativecommons.org/licenses/...
・大阪城・豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地の碑 写真:Paul VanDerWerf(CC BY 2.0) https://creativecommons.org/licenses/...
・二条城二の丸御殿 写真:sailko(CC BY-SA 3.0) https://creativecommons.org/licenses/...
・洛中洛外図屏風(池田本)伏見城部分(林原美術館、パブリックドメイン)
・大坂夏の陣図屏風・右隻(黒田屏風)(大阪城天守閣、パブリックドメイン)
・大坂冬の陣図屏風(模本)・軍勢の部分(東京国立博物館所蔵、出典:ColBase、CC BY 4.0)
・大坂冬の陣図屏風(模本)・城郭周辺の部分(東京国立博物館所蔵、出典:ColBase、CC BY 4.0)
・豊臣期大坂図屏風(エッゲンベルク城、パブリックドメイン)
・関ヶ原合戦図屏風(岐阜市歴史博物館本)(岐阜市歴史博物館、パブリックドメイン)
・片桐且元像(玉林院本の模写)(パブリックドメイン)
・以心崇伝(金地院崇伝)像(狩野探幽、金地院、パブリックドメイン)
・方広寺梵鐘・「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(Fg2、方広寺、パブリックドメイン)
・方広寺梵鐘 写真:Hyppolyte de Saint-Rambert(CC BY 4.0) https://creativecommons.org/licenses/...
・方広寺大仏殿を描いた絵(スミソニアン国立アジア美術館・フリーア美術館、パブリックドメイン)
・月岡芳年「一魁随筆・淀之君」(月岡芳年(1839–1892)、ボストン美術館、パブリックドメイン)
・坪内逍遥『桐一葉』・凡例の紙面(坪内逍遥(春のや主人、1859–1935)、国立国会図書館、パブリックドメイン)
・京極竜子(寿芳院・松の丸殿)像の部分(誓願寺、パブリックドメイン)
・『大日本古文書』家わけ八ノ三 毛利家文書之三(東京帝国大学、1922年)p.243(東京帝国大学文学部史料編纂所 編、国立国会図書館、パブリックドメイン)
・『史籍雑纂』第2・所収『駿府記』(国書刊行会、1911年)p.289(国書刊行会、国立国会図書館、保護期間満了)
・『絵本太閤記』下(成文社、1886年)pp.490–491(岡田玉山 著(NDLの書誌による)、国立国会図書館、パブリックドメイン)
・高台院湖月心公像(高台寺本の模写)(東京大学史料編纂所、パブリックドメイン)
・『大日本仏教全書』139・本光國師日記 第2(1915年)国立国会図書館(保護期間満了)
・『史籍雑纂』第2・所収『当代記』『駿府記』(1911年)国立国会図書館(保護期間満了)
(動画の中で拡大・トリミング・ぼかし・蛍光ペンを加えて使っています)
地図:Natural Earth(パブリックドメイン)をもとに作成
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