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八郎潟、海面下3.8mの田んぼになぜ水が入らないのか【ずんだもん&ゆっくり解説】

ずんだもんの土木ファイル

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八郎潟、海面下3.8mの田んぼになぜ水が入らないのか【ずんだもん&ゆっくり解説】

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秋田県の大潟村には、海面より3.8メートル低いところに田んぼが広がっています。すぐ隣の水面のほうが高い。それでも、水は入ってきません。 堤防100キロとポンプだけでは、この説明はつきません。まわりの川から流れこむ水は1年でおよそ12億立方メートル。それを全部くみ上げていたら、電気がいくらあっても足りないからです。答えは「川の水を、干拓地の中に1滴も入れない造りにしたこと」でした。 ▼登録 つぎの1本も見逃したくない方は、チャンネル登録をどうぞ。 https://www.youtube.com/@zundamon_dob... 気になる構造物があれば、コメントで教えてください。次の現場の候補にします。 ■ 消えた湖 八郎潟は、琵琶湖に次いで日本で2番目に大きい湖でした。岸に沿って1周すれば82キロ、面積は22,024ヘクタール(1辺15キロの正方形とほぼ同じ)。そのうち17,239ヘクタール、およそ8割が陸になりました。干拓は埋め立てと違い、外から土を運ばず、水だけ抜いて湖の底をそのまま地面にします。だから出来上がった地面は、もとの湖底の高さのままです。湖は全部は干さず、南の端に2割を水のまま残しました。この回の答えは、その残した水のほうにあります。ここには魚を獲って暮らす人たちがいて、漁をやめてもらうかわりに16億9千万円が支払われています。 ■ 湖を抜く まず堤防で囲い、囲った中の水だけをくみ出しました。囲いの長さはあわせておよそ100キロ(まん中の広い干拓地をぐるりと囲う1本が51.5キロ、まわりの細い干拓地の側が48.1キロ)。材料は沈んでいた湖の底の砂で、積み上げた砂の表面をアスファルトで固め、湖に向いた面には大きな石を並べて波よけにしています。まん中の干拓地は全体の9割を占め、しかもいちばん低いところにあります。工事は1957年に始まり、終わったのは1977年3月。20年、およそ852億円(1日あたりおよそ1200万円を20年)。出発点は3年前の1954年で、国土の多くが海より低いオランダから2人の技師が招かれ、同じ年の7月に報告書を出しました。ポンプが動き出したのは1963年11月、翌1964年9月には浅かった側からおよそ6,000ヘクタールの湖底が姿を現しています。 ■ 低い地面 村に置かれた高さの目印には、マイナス3.8メートルと記録されています。すぐ外にある残した湖の水面は、海面より1.86メートル上に保たれているので、差は5.66メートル=建物なら2階ぶん。堤防1枚をはさんだ向こう側に、2階の高さの水が載っている計算です。しかも水は上からも来ます。まわりの20を超える川から、毎日お風呂1600万杯ぶん。それでも干拓地には、その1杯も届いていません。 ■ 水の行き先 からくりは干拓地の外側にあります。南に残した湖と、堤防のすぐ外側に掘った2本の水路。この3つが干拓地をぐるりと囲んで、川の水をぜんぶ受け止めています(合わせて八郎湖)。川の水はそこへ入り、そのまま日本海へ。出口は1か所だけで、八郎潟と海をつなぐ長さ1,900メートル・幅390メートルの細い水の道です。その1か所に、端から端まで390メートルの水門を造りました。水門ができるまでは湖の水面が海と同じ高さで、そこから海水がそのまま入ってきていた汽水湖でしたが、海水を止めたことで真水に変わり、いまはその水を田んぼに引いています。湖の水は1か月ほどで中身がそっくり入れ替わるので、水面の高さも動きません。その結果、干拓地の中のポンプは「空から降ってきた雨」しか相手にしていません。ポンプは南と北の2か所で、1か所あたり毎秒40立方メートル(1秒でお風呂200杯)。 逆に、水を入れるときは電気がいりません。干拓地はまわりの水面より5メートル以上低いので、栓を開ければ自然に流れ落ちてきます。入れるのはタダ、出すのに電気。行きと帰りで手間がまったく違う仕組みの上に、この土地は乗っています。取り入れ口は、堤防に穴をあけると土が流されるため、堤防をまたぐ形の管を渡すサイフォン方式。管の中を水で満たすと、灯油を移すポンプと同じで、出口が低いかぎり流れ続けます。この口が12か所あります。 ■ 米と山 1964年に大潟村ができ、1967年には最初の56人が移り住みました。1軒あたりおよそ15ヘクタール(サッカー場20面ぶん)。ところがその3年後、1970年に国の方針が変わり、米を増やすのをやめて作る量を減らす政策が始まります。新しく田んぼを開くことも抑えられました。工事が終わるのは、その7年後の1977年。20年という工事の長さが、そのまま土地と時代のずれになりました。その土地では、いまも住民が暮らし、米を作り続けています。そして田んぼのまん中には、高さ3.776メートル、富士山のちょうど1000分の1の「大潟富士」があります。山頂の標高はちょうど0メートル。干拓される前の八郎潟の水面と、同じ高さです(いま残した湖は、それより1.86メートル高いところで使われています)。 ▼目次 0:00 消えた湖の底 1:00 消えた湖 2:36 湖を抜く 4:45 低い地面 6:04 水の行き先 8:43 米と山 ※時間は目安です。 ▼出典・参考 ・大潟村百科事典「八郎潟干拓工事」「大潟村の発足と発展」 https://www.vill.ogata.akita.jp/encyc... ・大潟村役場「大潟村の歴史」 https://www.vill.ogata.akita.jp/genre... ・男鹿半島・大潟ジオパーク「山頂と足もとに注目 大潟富士と八郎潟干拓記念水位塔」 https://www.vill.ogata.akita.jp/geopa... ・秋田県「世紀の大事業『八郎潟干拓』」 https://www.pref.akita.lg.jp/pages/ar... ・秋田県「八郎湖の構造、水の流れの概要」 https://www.pref.akita.lg.jp/pages/ar... ・水土の礎(農業農村整備情報総合センター)「秋田県 八郎潟干拓事業」 https://suido-ishizue.jp/kokuei/tohok... ▼画像の出典 ・八郎潟調整池と大潟村(サムネ・本編)© 掬茶 / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) ・八郎潟 東部承水路・西部承水路 © 掬茶 / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) ・大潟村の水田・道・ひまわりの道 © 掬茶 / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) ・八郎潟調整池と男鹿の山/冬の八郎潟調整池 © 掬茶 / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) ・大潟富士 © 掬茶 / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) ・大潟富士 © Ocavis Leechroot / Wikimedia Commons (CC BY 3.0) ・船越水道 © くろふね / Wikimedia Commons (CC BY 3.0) ・船越水道と男鹿大橋 © 掬茶 / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) ・八郎潟干拓地 © Craford / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0) ・八郎潟干拓地の衛星画像 NASA Earth Observatory (Public domain) ・1948年の八郎潟 国土地理院 ・地図: 国土地理院(シームレス空中写真) ・図解: 本チャンネル作成 ▼クレジット 音声: VOICEVOX:ずんだもん/VOICEVOX:東北イタコ/VOICEVOX:玄野武宏 BGM: DOVA-SYNDROME(ゆったり、まったり/Street Cutout/Rain drop/午後のまったり/スローライフは続いてゆく) ※ 本動画は、いまも人が暮らす大潟村を土木の仕組みの観点から解説したものです。土地の安全性を評価したり、農業政策の是非を論じたりするものではありません。