長宗我部元親の勢力図|関ヶ原の決戦で一度も戦わなかった長宗我部は、なぜ家ごと消えたのか【四国の大半から土佐一国へ 盛親まで 1540〜1615】
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長宗我部元親の勢力図|関ヶ原の決戦で一度も戦わなかった長宗我部は、なぜ家ごと消えたのか【四国の大半から土佐一国へ 盛親まで 1540〜1615】
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長宗我部元親が四国の大半に広げた勢力図は、関ヶ原のあと0になりました。決戦で一度も戦わなかったのに、なぜ家ごと消えたのか。
家が残るのに要る三つ、一族の家・跡継ぎ・土地は、どこで欠けていったのか。戦国時代の元親と盛親の55年を、郡ごとの地図で追います。
■ この動画でわかること
・一度滅んだ長宗我部の家を、国親と元親はどう立て直し、弟や息子に土佐の家を継がせて広がったのか。「姫若子」の話は本当か
・明智光秀が間に立った織田信長との関係と、本能寺の変の10日前に元親が書いた手紙の「土佐の門」
・長宗我部元親は四国を統一したのか。1585年春の地図で届かなかった所を確かめ、豊臣秀長の四国攻めで土佐一国になるまで
・戸次川の戦いで跡継ぎの長宗我部信親を失った元親は、本当に「人が変わった」のか。一族の吉良と津野を外したわけ
・関ヶ原の決戦で一度も戦わなかった長宗我部盛親。土佐を失ったのは西軍についたから。では、なぜ代わりの土地も無く家ごと消えたのか。二つの見方と浦戸の一揆、「一領具足」という言葉
・大坂の陣の八尾の戦いと盛親の最期、土佐の郷士と坂本龍馬の家
■ 目次
00:00 序章 関ヶ原の決戦で戦わなかった家|長宗我部盛親と毛利の分かれ目
01:56 第1章 岡豊の家|長宗我部国親・元親の初陣と姫若子
05:09 第2章 一族で土佐に広がる|吉良親貞・香宗我部親泰・一条兼定
10:09 第3章 信長と結ぶ|織田信長・明智光秀・信親の「信」
15:53 第4章 本能寺の10日前|元親の手紙と「土佐の門」
20:33 第5章 四国統一は本当か|1585年春の地図・豊臣秀長の四国攻め
26:28 第6章 戸次川|長宗我部信親・仙石秀久・十河存保
30:43 第7章 一族を外す|盛親が跡継ぎに・長宗我部地検帳
35:31 第8章 決戦の日と浦戸の城|関ヶ原の戦い・津野親忠・浦戸一揆と「一領具足」
42:05 第9章 消えた家の帳面|大坂の陣・盛親の最期・土佐の郷士
■ 地図の見方
朱=長宗我部(濃い朱=直接治める土地 薄い朱=従う家の土地 斜線=奪い合い中)
ほかの家はその家の色(三好・河野・西園寺・一条・本山・安芸・毛利・織田・羽柴・徳川・山内)。どの大名にも付かない土地=薄い墨(国衆)
右上の数字=石高(米のとれ高)の目安。1585年の四国はまだ石高で数えておらず、のちの帳面の数字で比べています
長宗我部の家が消えた分かれ目は、どこだったと思いますか? 解説してほしい家や武将、合戦も、コメントで教えてください。
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■ 地図と数字について
・年は和暦の年の西暦、月日は和暦(戸次川の1586年12月12日は西暦で翌年1月)。年齢は数え
・右上の石高は1598年の検地高を正保郷帳の郡の比で按分した目安。土佐の4郡は1920年の町村で分け、『旧高旧領取調帳』の村高の比で配った。郡は1920年の郡境の近似。1577〜1581年の阿波の名西・勝浦・麻植・阿波郡と、1585年春の阿波の勝浦・阿波郡、伊予の西宇和・周桑の塗りは推定。牛岐城・白地城を取った年、讃岐の香川と結んだ年、伊予の岡本城の戦いの年には説がある
・「四国統一」は、河野が降伏したとする説と、統一は目前で止まったとする説がある。この動画は後者の見方で塗った
・四国の外の塗りは、このチャンネルの前の回の地図をその年の初めの状態で写した目安
・戸次川で仙石が渡ると決め元親が反対した話は、長宗我部の側の後の記録の伝え
・関ヶ原では、退く途中で東軍の追撃とぶつかった、と書く記録もある
・朝鮮への出兵は、朝鮮の土地を塗らず渡海だけを示した
・人物の絵は生成AIの想像図(肖像が伝わらない国親・信親なども)。香宗我部親泰の割菱は継いだ家の紋で、武田菱と同じ形。島津の紋は、この時代は丸の無い十字だった可能性があり、動画では丸に十字で描いた。戸次川と検地の絵も想像図(戸次川の地形は国土地理院の標高データ、戦った場所は豊後側の江戸時代の記録による。戦いの時刻は記録で割れる)。語りは合成音声
■ 出典
地図: 国土地理院(地理院タイル・陰影起伏図)。戸次川の絵の地形: 国土地理院 標高タイル
郡境: 『歴史的行政区域データセットβ版』(CODH作成)doi:10.20676/00000447(国土交通省「国土数値情報(行政区域データ)」をもとにNIIが加工)
史料の札: 林原美術館蔵『石谷家文書』19号(浅利尚民・内池英樹編 2015・翻刻は熊田千尋 2020)、『増訂 織田信長文書の研究』下巻 573号(写し。「在陣」を「在陳」と書く写しもある)、『大日本古文書 小早川家文書之一』431号、『豊臣秀吉文書集』二 1464号(平岡文書・『三重県史』資料編 近世1 75号にも所収)、『土佐国蠹簡集拾遺』337号(平井上総 2009 の引用)、『土佐物語』巻4(国史叢書)
語りで引いた手紙など: 『信長公記』、近衛前久の書状・斎藤利三の書状(石谷家文書)、『毛利家文書』1020号、『吉川家文書』917号、『史料綜覧』、6月18日の秀吉朱印状(『小早川家文書』551号)、7月25日の秀長の覚書、『宇野主水日記』、フロイス『日本史』(松田毅一・川崎桃太訳)、『元親記』『長元記』
語りの見方の出どころ: 代わりの土地の話と浦戸一揆の見方・一族の家が外されていった見方・「一領具足」の語の調べ・元親の名を借りた法・吉良と津野の1000町と家老の70町(横川末吉 1961 も)は平井上総氏の研究(2006・2008・2009・2016)、郷士の始まりは石躍胤央氏(1962)、四国攻めの経過と交渉は川島佳弘氏・鎌田直樹氏(2025)、石谷家文書の読みは熊田千尋氏(2020)による
札の原文は抜き出しで、字は新字体に直しています。現代語訳はこの動画によるものです
BGM: (仕上げの段で決める)
効果音: 効果音ラボ
#長宗我部元親 #戦国時代 #日本史