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十三人全員が救助されたのに、なぜ日本に帰り着いたのは五人だけだったのか(永住丸 1841・メキシコ)

カイの歴史のしくみ解剖

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十三人全員が救助されたのに、なぜ日本に帰り着いたのは五人だけだったのか(永住丸 1841・メキシコ)

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カイの歴史のしくみ解剖
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#歴史 #歴史解説 #漂流 #江戸時代 #メキシコ 十三人全員が救助されたのに、なぜ日本に帰り着いたのは五人だけだったのか。天保十二年、一八四一年の秋、兵庫を出た千石船永住丸は、鹿島灘で帆柱を切り、四か月あまり東へ流されました。米が尽きたあとは積み荷の砂糖と酒を口にして日をつなぎ、十三人は誰ひとり死なずにスペインの船に拾われます。ところがその船は、十三人を働かせたうえで、メキシコのバハ・カリフォルニア半島の南の端、サン・ルカス岬の浜に置き去りにしました。 そこから日本へ帰るには、四つの扉が同時に開く必要がありました。一年か二年に一度しか出ない中国行きの船。船賃と、船の上の空き。マカオで次の船を知っている家。乍浦から長崎へ向かう唐船と、それを受け入れる長崎。初太郎と善助はマサトランで三百六十枚の銀貨を集め、ホノルルで四人の日本人と泣いて別れ、マカオでは砂に「日本人」と書いて宣教師ウィリアムズの家にたどり着きます。八人は、扉のどこかで足を止めたまま、記録から消えました。 この動画は、初太郎の口述『亜墨新話』(刊本『海外異聞』一八五四年)、善助の口述『東航紀聞』(一八五一年)、弥市と伊之助の聞き書き、S・W・ウィリアムズの手紙(一八四一年・一八四三年)と、宮永孝の研究にもとづいて、救助されることと帰れることがなぜ別のことだったのかを、一つずつ見ていきます。 ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬ 0:00 拾われた十三人 0:20 兵庫の千石船 1:18 帆柱を切る 2:04 砂糖と酒を食べる 2:53 西から来た船 4:32 岬に捨てられる 5:21 二軒の家 7:03 一人一軒の預け先 9:08 三百六十枚の銀貨 11:22 ホノルルの四人 12:44 砂に書いた文字 14:53 乍浦という港 16:24 永泰号で長崎へ 17:42 残った八人 20:28 二冊の記録 21:33 四つの扉 ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬ 一八四二年のマサトランで、次の船を一年待つか、娘と銀一万枚を受け取って残るかと言われたら、あなたはどちらを選びますか。コメントで教えてください。 ▶ 再生リスト:しくみ解剖シリーズ 🔔 チャンネル登録していただけると、次回の解剖が届きます。 歴史の「どうやって?」を、しくみから解剖する。 ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬ 【出典・参考資料 / Sources】 ■ 一次資料 『海外異聞』(『亜墨新話』の刊本、嘉永七年=一八五四年)早稲田大学図書館 / Wikimedia Commons https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... 『東航紀聞』(岩崎俊章 編、嘉永四年=一八五一年 写本)国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2553378 『海外異話』(伊之助の漂流記、西尾市岩瀬文庫)国立国会図書館サーチ https://ndlsearch.ndl.go.jp/en/books/... Frederick Wells Williams, The Life and Letters of Samuel Wells Williams (1889) https://archive.org/details/lifelette... ■ 研究・論文 宮永孝「北米・ハワイ漂流奇談(その一)」『社会志林』60(2)、法政大学、2013 https://hosei.ecats-library.jp/da/rep... Chit Shing So, "American Protestant Missionaries in China and the Shipwrecked Japanese during the Tokugawa Period of Japan (1837-1844)", 7th AFC Best Papers (2024) http://www.aisf.or.jp/aifdocs/vol_7_1... 木村甫「周参見港」『港別みなと文化アーカイブス』日本港湾協会、2009 https://www.wave.or.jp/minatobunka/ar... ■ そのほか 長尾初太郎(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/長尾初太郎 日本とメキシコの関係(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/日本とメキシコの関係 Rio Imamura, "Japanese drifters in Mexico", Discover Nikkei (2013) https://discovernikkei.org/en/journal... ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬ 【断り書き】 ・船の名は記録によって永住丸、栄寿丸、永寿丸と書かれます。動画では永住丸で通しています。 ・日付は旧暦と年号(天保、弘化)で述べています。西暦は年の目安としてだけ使っています。 ・おみくじで帆柱を切ったこと、髷を切って海に流したこと、ミゲルが初太郎を娘婿にと望んだこと、マサトランの町の様子は『亜墨新話』にしか出てこない話です。善助の家主がラ・パスへ移った五月十六日という日付は『東航紀聞』、弥市の料理人の仕事は弥市の聞き書きによります。 ・善助の年齢は『東航紀聞』では二十一歳、周参見側の資料では二十五歳です。初太郎が岡崎村に帰った年は弘化元年と弘化二年の二説あるため、動画では年を述べていません。 ・エンサヨ号に残された三人が向かった「ワキハライソ」をチリのバルパライソとするのは熊田忠雄の説で、確かめられていません。帰らなかった八人について、どの記録も死んだとは書いていません。 ・『海外異聞』の挿絵(早稲田大学図書館蔵)、『東航紀聞』の挿絵(国立国会図書館蔵)、ベイヤード・テイラーのマサトラン図(一八五〇年)、ローヴェルニュのホノルル図(一八三六年)、マカオのプライア・グランデ図(一八三〇年ごろ)、ウィリアムズの肖像(一八八九年刊)、川原慶賀の長崎港図は、いずれも著作権の切れた資料です。それ以外の絵は、このチャンネルで描き起こしたもので、史料ではありません。初太郎と善助の顔も、残っている肖像はなく、描き起こしです。